経営指針・実践中

2021年度大阪同友会のスローガンは 【正念場の年「ビジョン2020」を深く学び、すべての会員で経営指針に基づく自社経営を進めよう!】です。 その実践に向け情報化・広報部は指針経営を実践している企業を紹介していきます。 会社の羅針盤ともいうべき経営指針はそれぞれの会社で、何を根幹において作成され、どのように実践されてい るのか。経営者として最も興味があり、学ぶべきあり方を、取材を通じて皆様にご紹介いたします。

vol.5  指針経営で目標が現実のものとなる

あの人に聞く

紀洋木材(株)代表取締役 桑原 健郎
(大阪中央ブロック/臨港支部/2004年度入会)

PROFILE
所在地:大阪市大正区小林西1丁目
URL:https://www.kiyolumber.co.jp
設立:1953年12月
資本金:5,000万円
年商:32億9,236万円(2021年3月期)
社員 数:27名
業務内容:木材・建材の総合サプライヤー

修行先での勤務を1年弱で終え、紀洋木材に入社

紀洋木材は1953年に父親である一弘氏が大正区小林町に設立し、今期69期目を迎えました。この地で生まれ育ち学生時代は陸上一筋だった桑原氏は、大学卒業後、父親の紹介で東京の会社に5年間ほど修行する予定で勤めていましたが、1年も経たないうちに呼び戻されました。当時の紀洋木材は、父親がしている商店という感じで、社員は両親と専務を合わせて7、8名、トラックが4台くらい、それでも10億くらいの売上がありました。材木屋といっても、マンションやビル関係の仕事が多く、ゼネコンの下請けをしている協力会社への型枠合板などの材料売上が全体の9割以上を占めていました。マンションなどのほとんどが3月竣工であるため、型枠の仕事は4月から始まり、夏から秋口にかけてが繁忙期、年末の12月ごろに終わります。1月~3月はいつも赤字でした。



「木、売らなあかんのや」

桑原氏が大学生のころには全盲となっていた父親は、目利きの要らない、電話だけで済ませられるように商売を工夫してきました。桑原氏も入社当時は、新規を取ろうと型枠大工さんに材木を売りに行っていました。2、3年後には売れるようになりましたが、父親には「ベニヤなんか誰でも売れる、木を売らなあかんのや」と言われます。困った桑原氏はゼネコンの紹介を得て、造作大工さんとの縁を頼りに材木の販売を始めていきました。けれど慣れていません。ある時、和室の材料をたくさん仕入れて納材したところ「お前んとこがぼとぼとの木を入れるからカビが生えてくるんや」と言われ、何度もカビを取りに出向くことになりました。「一番情けなかった」と振り返る桑原氏ですが、そのような失敗を重ねながら少しずつ仕入先を開拓していきました。

社員の声を拾い上げ、改善していく

父親の時代は、会議や勉強会などは全くしていませんでした。配車を担当するようになった時のこと。4トン車に乗っている年配の社員についでに回ってもらおうと、もう1件別の納品伝票を付けておくと、「これは行かれへん、トラックが入らんと思う」と実際の様子を見もせずに言われました。仕方なく、若い社員に配送を頼みました。特に年配の社員たちは、当初は意見を求めても言ってくれませんでしたが、飲み会などで「手降ろしで大変や」「担ぐのがしんどい」などと口にしてくれるようになりました。そういったことを一つずつ拾い上げて、自社配送の体制を作り上げていきました。

社長に就任し、月売上の平準化から改革を始める

厳しい父親が脳梗塞で倒れて寝たきりになり、入社して14年後の2000年、36歳で社長に就任した桑原氏は、まず毎月の売上の安定化を考えました。それまでの型枠中心だった売上を、他の業種にもシフトしていくようにし、その結果、現在では型枠の仕事が4割、内装が4割、床材が1割、その他が1割になりました。また2013年に建設業許可を取得し、内装工事を始めました。工事をするようになると、今まで紀洋木材でないところから仕入れていた施工業者も仕入れてくれるようになり、そのことにより横の広がりも増え、相乗効果が出てきて、今や売上32億のうち約4億は工事の売上となっています。


目標を掲げ、それに向かって努力する

同友会には2004年に知人の紹介により入会。経営方針はその後自身で作り変えましたが、同友会の指針セミナーで最初に作ったものも手元に置いています。当時書いた将来の姿で実現していることもあり、思い描いて書いてみることで叶うようになると実感しています。父親に、目標を掲げそれに向かって努力するように育てられた桑原氏。全社員にノートを配り、社員にも毎月の目標を書いてもらっています。赤ペンで返事を書いて返すということを、20年近く続けています。書くことが苦手で「がんばります」としか書かない社員もいますが、口では言えないことでも書くことでなら伝えられるということもあります。一方で桑原氏自身も、毎年個人目標をノートに記して、意識して行動するようにしています。

社員の可能性を信じ、任せていく

固定費がかさむことが心配で採用はできるだけ最小限に抑えてきましたが、一昨年くらいからは新卒採用も考え始め、いろいろなところにアプローチするようになってきています。例えば、日本語学校の先生と知り合いになって、紹介してもらった外国人卒業生3名を従業員として採用しました。社内報は彼らが中心になって作り始めました。大正区の修学旅行生向け見学会受け入れにも参加しています。その時は社員に会社説明をしてもらっています。そうすることで社員も材木についての知識や人に説明する能力などを高めることができています。また、一人の社員が木工教室に通い出したことをきっかけに、手作りのボールペン事業を始めました。こうして社員ができることから手掛け、新しい事業を広げていきたいと考えています。



委員会活動による社内活性化

桑原氏には社員とともに楽しく仕事をしたいという思いがあります。昨年からは新型コロナウイルス感染拡大の影響でなかなか実行できていませんが、新年会やバーベキューなど、毎月何かしらのイベントを行うように、年間計画を立てています。3チームに分かれて、それぞれのチームが集まる場を設けて意見交換を活発にできるようにし、チームごとの意見などを全体ミーティングで発表しています。外部の講師の方に来ていただいて講習会を開催することもあります。朝礼もそうですが、ここ5、6年でようやくこうしたミーティングも社員が司会をしてうまく進行してくれるようになりました。

コロナ禍での新たな取り組み

昨年5月の連休には、現場が止まり、仕事がなくなるかもと不安ばかりで、どうにかしなければと悩みました。一方でよい影響もありました。毎日の朝礼は、コロナ禍で時差出勤となったことで、昨年は7時、8時、9時と3回に分けて少人数で行うようになりました。また、会議室に集合しては密になるという理由から、念願だった屋外での朝礼ができるようになりました。残業をせずに時間内に仕事を終わらせることも習慣づいてきました。また、BtoBからBtoCへの展開をと、オンラインでの販売ができるようにECサイトを作っているところです。

目標は、売上100億!

長男が東京の商社に出向中です。常にお客様が求めることに応えようと、とにかく必死でやってきたという桑原氏。その都度、人からの紹介や人との出会いを大切に、事業を展開してきました。「新しいことをせんと今までの状態で継続してたら、衰退していくと思っている」強みは、自社倉庫にある大量の建材管理と、円滑な自社配送のしくみ。それらを支える社員とともに、大きな夢に向けて、小さな目標をひとつずつ達成できるよう、日々努力しています。
(取材:文/北川、大西、谷澤、写真/谷澤)

 経営理念

私たちは木のぬくもりを通じて、
夢と希望の持てる幸せな企業を目指します。

vol.5  指針経営で楽しく成長。こんないいことはない。

あの人に聞く

(株)荻田建築事務所 代表取締役 荻田 晃久
(大阪中央ブロック/西支部/2011年度入会)

PROFILE
所 在 地:(本社)谷町事務所:大阪市中央区安堂寺町/巽事務所:大阪市生野区巽東
URL:http://o-ken-design.com
設立:平成25年3月
資本金:2,000万円
年商:3億1,200万円(2020年度2月期)
社員数:8名(内役員2名)
業務内容:工場建築と住宅を中心に建築設計から施工・リノベーション・不動産コンサルティングまで一貫したタテモノプロデュース

会社の沿革と事業内容

荻田氏の祖父が昭和30年代に布施で不動産賃貸・管理業を創業しました。地元である生野区巽の当時は田んぼばかりだった地域でした。その一角に工場を建てて貸す、いわゆる貸工場という業態でした。その後、父親が建築業も始め、そこに荻田氏が入社しました。現在の不動産業務は弟さんが承継し、建築業務を別会社として社員の竹田氏と共に独立・設立したのが現在の(株)荻田建築事務所です。


■ 写真右が竹田氏

同友会入会と理念への思い

同友会へは再入会して10年目で独立前から入会しています。最初の入会時はグループ討論が苦手ですぐに退会しました。その後、いろいろな経営者と出会うなかで考え方がガラリと変わり、再入会を決意しました。再入会後は例会報告内容がすっと入るようになり、グループ討論も素直な姿勢でできるようになり「自分と同じ考えをしている人がたくさんいるんだ」と同友会に親近感を覚えるように変化しました。その後、経営指針確立・実践セミナーを受講、そして修了したものの、実践することはなく理念づくりや指針づくりは手つかずでした。が、突然独立のタイミングがやってきて、「理念」がないことに気づきます。幸い時間だけはたくさんあったので、1カ月かけて自分自身と真摯に向き合って誰に何を伝えたいかということを三つの視点から考え作り上げました。現在の経営理念は独立当時に考えたものです。

指針書は指針合宿をして作る

経営指針書は毎年1月に社員全員で1泊合宿をして策定しています。残念ながら今年は新型コロナウイルスの影響でZoomでの発表となりましたが、毎年期初に発表会をしています。独立した当初は、SWOT分析をしたりもしてはいましたが、ほぼ荻田氏自身が考えたことをまとめただけの指針書でした。その後社員数も増え、指針合宿・指針発表会などを開催するようになりましたが、ビジョン・方針策定などで手こずり、時間切れになることも多々ありました。そこで昨年、同友会の仲間に「ココロの勉強会」というセミナーをしてもらい、ビジョンづくりのお手伝いをしてもらったことで社員からも活発に意見が出てくるようになりました。10年ビジョンも皆でアイデアを出し合い、デザインが得意な社員がイラスト化し形にしてくれました。そして今年エマジェネティックスセミナー(※)を受講し、社員それぞれの性格や考え方が違うことを明確化することで、多様性を認め合う意識が芽生え、社内の雰囲気が和み始めているのを実感しています。※人の思考の特性と行動の特性を、色と数字で見える化するツール。
指針書に掲げたことの到達度で言えば6割程度です。現代長屋プロジェクトなどタイミングによって急に進むこともありますし、思ったより進まないこともあります。ただコロナ禍がやってきて、ピンチをチャンスに変えるタイミングで、ここ数年力を入れたいと考えていた住宅事業スタートのための分譲地購入などを実行できたのは、指針書に掲げていたからこそだと思います。

10年ビジョンへの思い

サスティナブル工場の建設
設立当時に一般的な住宅の仕事ではなく、前社でも携わっていた3K(きつい・汚い・危険)職場といわれている工場・倉庫を5Kファクトリー(カッコいい・快適・空間・環境・効率)に変えるべく、メインターゲットに定め勝負するという方針を立て、さまざまなお仕事をさせていただいてきました。今後は、10年ビジョンに掲げた「サスティナブル工場」の建設をめざして技術力をあげていきます。

WakuWorkOfficeの完成
お客様の事務所をいろいろな設計・施工はさせていただいているのですが、ふと自社を見るとそうではないなと気づきました。社員がワクワクしながら働けるオフィスをということで、展示会やショールームに足を運んだりしながら、理想のオフィスを勝手に自分たちで考えてみました。そのアイデアを将来の自社オフィス構想に取り入れ、自社社屋建築をめざします。

世界に広がるO-ken-design
現在、自社にはご縁がありベトナム人の社員がいます。当初積極的に外国人の採用を考えていたわけではないのですが、たまたまご縁をいただいた彼の入社をきっかけに、地域社会にしっかりと根を張りながら世界にも視野を広げていきたいと考えています。

指針に取り組めていない悩む会員へのメッセージ

指針書をしっかりつくれば、会社が変わると言いたいところではあるのですが、変わるまでには時間がかかります。しかし、やり続けないことには成果も出ないし会社も成長しません。1年や2年では変わらずとも3年、5年と続けることで必ず変わってきます。「絶対にやるんだ」という強い思いを持って続けることが経営者の責任であり、覚悟がいると思います。人を生かして、会社もよくなって社会も良くなるという意識になるまで継続することが大切だと思います。私自身、ここまでブレずに「楽しく経営」を続けてこられたのも、独立当時にしっかりと納得のいく理念ができたことや、経営指針確立・実践セミナーの助言者をしていることなども要因だったと思います。やり続けるべきと感じる環境があったからこそできたところもあったと思います。指針を深めながら売り上げをあげて、利益をあげる。正直、非常にレベルの高いことだと思いますが、それで会社も社員も成長してくれたらこんなにイイことはないと思います。ぜひ悩んだ方は経営指針確立・指針セミナーを受講してください。


■ 大阪市ハウジングデザイン賞受賞  現代長屋の模型

 経営理念

我々は建物づくりを通して、
顧客の永きに渡る「人生」に貢献し、ともに歩む。
我々は自らの成長を信じ、
自らを表現し続けることで、新たな「自身」を開拓する。
我々は地域と共に暮らし、
広く世界と結び、豊かな「未来」を想造する。

【進化の扉】
取材をしてようやく真の課題が見え、会員の人となりを知る。広報部員の冥利に尽きる役得かも。学びを深める扉を開けてみると、自身の課題とも重なっていく。

社員とともに楽しく経営


今回、2社の取材に参加して一番に感じたこと、それは「本当に楽しそうに経営をしている」でした。しっかりとした理念のもと、ビジョンや方針で筋道をたて、計画に落とし込みそれを行動に移す。文字にすると単純なことに見えますが、実直に継続し続けることがいかに大変で難しいことかを私自身痛感しているので、お二方も相当の苦労をしているのだとは思いますが、過去の失敗や先代・社員さんとの確執や苦労すらも生き生きと語る姿から感じたことは、それを超える楽しさでした。描かなければ夢は叶わない、描いても動かなければ実現しない。経営指針確立・実践セミナーは受けて終わりではなく、そこから険しく楽しい経営の旅が始まるのだということを改めて認識する取材となりました。(情報化・広報部谷澤)

vol.4  指針経営で目標が現実のものとなる。

あの人に聞く

紀洋木材(株) 代表取締役代表取締役会長 中井 利夫
(大阪北ブロック/北第一支部/2003年度入会)

PROFILE
所在地:大阪市北区中崎西2丁目 東梅田八千代ビル
URL:https://www.centwell.co.jp/
創業:1896年
設立:1956年9月(株)中井商会として設立
資本金:4,000万円
年商:1億3,000万円(2021年度3月期)
社員数:9名(うち役員2名)
業務内容:カタログ、パンフレット、ポスター、チラシ、ダイレクトメール
その他印刷物全般の企画、デザイン、印刷及び加工、ホームページの企画・制作

会社の沿革と事業内内容

会社は昭和31年(1956年)に中井氏のお父さんが高級美術印刷を行う「中井商会」として設立されました。中井氏は某メーカーに3年勤めた後、25歳の時に入社しました。そののち現社長である弟さん三夫氏が入社し、お父さんとあわせて3名で勤務していました。兄弟、家族で運営していたので考え方や戦略について意見を述べると、仕事の中で公私混同する時もあり複雑な思いでした。また、それまでに勤めていた某メーカーでは社員が入ってもすぐに辞めることが多く、企業の雇用についてはそういうものだと感じていました。社名については入社後5年目に自分の将来への思いを込めて現在の「セントウェル印刷株式会社」に変更しました。「中井」の文字をそれぞれに英語表記したもので「中」は中央を表す=center、central、「井」は井戸を表す=wellから「セントウェル」ということになりました。事業としては当時珍しかった高級美術印刷(カラーでの印刷)を業務とする会社でした。


■ 長年の得意先様の演奏会のポスター

同友会入会と経営指針確立・実践セミナーの受講

同友会の入会は2003年です。当時ホームページを作成した顧客が会員で、同友会を紹介されて例会にゲスト参加することになりました。参加したところ、さまざまな経営者と話をすることができて、これは面白いと感じました。紹介者は他地域の所属支部でしたが自社は地域での取り組みの仕事が多かったので地元の支部に入会。3年後には支部長に任命されることになり、急きょ、経営者指針成文化セミナー(当時の呼称)を受講する流れになりました。指針セミナーで作った経営理念は今まで自社にあった経営理念とは全く違う内容となりました。当初の経営理念は売り上げを上げることが主であり、戦術的な要素のものでした。売り上げさえ確保すれば会社はなんとかなる、人は会社の都合のために辞めさせることができると考えていました。受講後の経営理念は「人を生かす経営」に基づいて作ったので経営者としての心構えが大きく変化しました。会社が成長するのに不可欠なものは、社員の成長と喜びであり、それこそが会社の発展であることを学びました。


■ デザインされた経営理念を説明

経営理念や方針を社員と共有するために

経営理念は3回ほど改定しましたが、変えるたびに社員とともに考えるようになりました。当初は自分が考えたことを一方的に伝えればいいと考えていましたが、実際のところは何も伝わっていなかったのではないかと思うようになりました。指針セミナー受講後からそれまでしていなかった朝礼をするようになっていきました。社員と一緒に取り組むことで会社のあり方や進むべき方向が共有できるようになったと言います。社内の変化により社員から意見が出るようになり具体的な経営計画をともに考えるようになりました。セントウェル印刷は社員が関係者に直接伝える経営計画発表会を5月に実施しています。社員は2月ごろから自主的に準備をすすめていますが年を追うごとにどんどん内容が深くなっていると感じるそうです。


■ 事務所風景、後列左は社長の中井三夫氏
右から二人目は後継者の中井洋平氏

社内での特徴的な取り組み

セントウェル印刷では社員に毎日試算表を読ませています。取り組みは10年前からです。理解できるまで時間はかかりましたが、数字を意識することで経営者的感覚が身につくようになりました。社員は毎月5日に売り上げ予定を書き入れて、月末に実績を入れるのですが数字が足りないとき、社員に「なぜできないのか」ではなく「どうすれば売り上げにつながるのか」「足りないままだと会社の状況がどうなっていくのか」というような試算管理としての考え方を教育しています。売上変動についてノルマを与えたり、個人追及したりはありません。社員は自分が何をしなければならないかを意識するようになってきました。現在のしくみになってからは与えられたことをするだけでなく自発的に行動するように変化しています。


■ セントウェル印刷株式会社「理念と方針」

セントウェル印刷(株)経営計画書より

 経営理念

三つの方針について社員が改善アイデアを出し合い、必要性の高い項目に絞り込み、具体的な取り組みを五つ考えました。

【より多くのお客様により高度なサービスを提供し喜ばれる】
18項目から7項目に絞る※1
・デザイン力を向上させる
・印刷物についてより多くの知識を付けて、さまざまな提案をできるようにする
・セントウェルのリブランディング
・制作外注力の強化、整理
・提案力の強化
・外注デザイナーについて
・会社のデザイン制作ポートフォリオ

【具体的な取り組み内容】
1 リブランディング 2 提案力の強化

【会社の発展・粗利益の増大】
18項目から6項目に絞る※2
・粗利益確認/価格改定
・下請けを増やし、さまざまなことに対応できるようにする
・印刷費、デザイン費などの見直し
・社内システムの効率化による効率化
・ルールを明文化し、人によるバラツキをなくす
・作業や手間に対する費用を見直す

【具体的な取り組み内容】
3 印刷費、デザイン費の見直し

【待遇改善・職場環境改善・働き甲斐の増大】
 21項目から4項目に絞る※3
・社内の整理整頓(5Sの実施)
・5S
・業務効率化に向けた打ち合わせ
・単純な見積もりや増刷仕事などのシステム化

【具体的な取り組み内容】
4 業務効率化 5 5S

取材を終えて


中井氏による現在のしくみづくりは短期的にできたものでなく、自身の考え方の変化と社員の地道な取り組みが合って形になっていったものです。そのきっかけとなったのは同友会の「人を生かす経営」であり、それを実践するための基盤が“経営指針”となっています。大事なのは計画だけではなく実践を継続することであり、それによって社員とともに歩む会社づくりになることを学んだ取材となりました。(取材:文/赤井、土本、藤井、西岡、写真:田村)



vol.4  トラブル現場の救世主として誇り高き仕事を

あの人に聞く

前田陸送(株)代表取締役 前田 浩司
(大阪北ブロック/阪神支部/2016年度入会)

PROFILE
所 在 地:大阪市西淀川区千舟1丁目
URL:https://www.maeriku.co.jp/
創 業:1969年
設 立:1987年 4月
資 本 金:1,000万円
年 商:2億2,000万円(2021年度2月期)
社 員 数:37名(うち役員2名)
業務内容:24時間ロードサービス、整備陸送業務、レンタカー事業

会社の沿革と事業内容

創業から53年目に入った前田陸送は、お父さんから事業承継した現社長、前田浩司氏により業務内容を増やしてきました。車の運転にはつきものの故障やパンクの応急修理、事故により運転不可となった車をレッカー搬送する24時間ロードサービス、また引き取り納車から始まる整備陸送などを事業の2本柱としています。前田さんはとりわけ車が大好きな子どもであったそうです。1994年20歳で社会に出る時、ディーラーには入らずお父さんの会社に入社しました。以来2012年の社長就任まで16年間ひたすら現場で働いてきました。阪神電車のガードに沿って事務所とけん引車駐車場があります。トラック用のレッカー車は相当大きく、そばで見るとまるで機械です。「この車は何トン積載ですか」と聞くと、しばらくして「20トンくらいかな」と返ってきました。最近仕入れた最高の車両、私たちが真剣に見ていると彼が乗り込み道路へ試運転に出し、働く車の動くところを見せてくれました。


■ 道路へ乗り出す大型レッカー車

同友会入会と経営指針確立・実践セミナーの受講

同友会を紹介したのはトラック販売や自動車部品を扱う会員でした。2016年に入会した後、同友会大学へ先に参加しましたが、次に経営指針確立・実践セミナーの受講をすすめられます。前田さんは社長就任後、自身で経営関係の本などを参考に経営理念をつくっていました。突っ走って、ついてこいと経営理念をつくりましたが振り返ると誰もいない、社員のことを本当に思っていたかどうか、こうした思いをきっかけに受講してみました。「なぜ理念がいるのか。会社の風土を作る。樹の根っこをひろげていく」そんな学びが自身の考えとピッタリあったと言います。お互いの幸せのために社員の夢と重なるところを見つける「みんなの夢が僕の背中にあるで!これは社員曼荼羅だ!」と意気込みましたが1回目は頓挫しました。

オリジナルの目標達成シートを作る

事務所の壁に経営理念の額をかけ、その周りにぎっしり貼ってあるのは社員から出された目標達成シートです。個人の今年の目標や課題を書きますが、ここから業界としての課題や社内の問題もわかってきました。テリトリーは大阪市内をメインとして対応しています。飲酒運転の規制が厳しくなってから泥酔事故は減り、またコロナ禍で交通量も少なく、出動の機会が減ると売り上げも減りますが、待機は必要という課題があります。ロードサービスは365日24時間営業で待機をしなければならず、求人を出してもブラックなイメージがあり応募が来ないという悩み。24時間のシフトをどうしたらいいか、社員の意見を聞くと24時間勤務して次の日は勤務明けとする、というのがいいとの回答でした。その体制にすると倍の人数が必要、ということでまた悩みます。規制緩和があった時にJAFからの仕事減少に、保険会社のロードサービスを増やしました。レンタカーも関連事業として始めました。社員の意見を聞くことで定着率が上がったそうです。解決しにくい問題は歩合給の計算でした。事故が起こるのを待っているわけではないので労働との対比が取れないところを固定給に変更。1分単位で残業手当を計算し、社員の納得を得ています。


■ 経営理念と社員目標達成シート

経営指針は社員を成長させる

詳しい解説をつけられた前田陸送の経営理念・行動指針書は事例や例えの物語も入っています。会社も人も楽しく幸せに生きるために理念(目的)が必要、と書かれた部分に目が留まりました。残る課題は現場の気持ちがついてきているかです。前田さんは急きょ3人の社員を呼び、各人の気持ちを直接聞くことにしました。「夜中に呼び出しを受け一人で行って『助かった~』『来てくれてありがとう』は嬉しいです、仕事をしている誇りです」と社員からの発言。「個人的にはこの仕事に満足している、今を精一杯頑張って結果が出るかな」と新人。3年目となると「自分が中心となって教える立場になり責任感が芽生えつつある。自分たちの質を高めていかなければ…」理念の勉強が確かに社員の思いにつながっていることを感じました。


■ 大型レッカー車の操作を教授

前田陸送(株)経営理念、行動指針(一部抜粋)

 経営理念

『私たちは 最高の交通インフラサービスを提供する事で
 人々の幸せを追求し 愛が溢れる未来を 実現します』 

 行 動 指 針

①素直な心で話を聴きます。
②何が安全でベストかを想像します。
③相手の立場になって判断します。
④実直に取り組みます。
⑤不変の価値を提供する為に変化し続けます。
⑥理解と寛容をもって人を育てます。

 安全スローガン

ひとつひとつの作業・操作を大切に!

【進化の扉】
取材をしてようやく真の課題が見え、会員の人となりを知る。広報部員の冥利に尽きる役得かも。 学びを深める扉を開けてみると、自身の課題とも重なっていく。

経営者と社員と経営指針と愛ある日々


今回取材訪問させていただいた2社は、どちらも北ブロックの広報委員からの推薦です。その趣旨は経営指針やビジョンを作る過程において社員を巻き込み、その思いを社員と共有するためにどのように努力した日々があったかを知りたいということでした。セントウェル印刷は受注した印刷物のデータをデザインする机上の仕事。長時間残業から抜け出し一人ひとりが利益を生み出す財務会計を意識できるように訓練ともいうべき社員からの経営計画発表を求めます。それに真剣に応える社員の姿がありました。また前田陸送はトラブル現場の呼び出しに応えるために365日24時間稼働の過酷な仕事も必須とします。社員の仕事に対する誇りやモチベーションをいかに持ち続けられるのかが課題でした。経営指針が作られる過程には社員から出された目標達成シートが基盤となり、自分たちで作り上げた経営指針であることを社員自身が感じています。会社が発展していくのは経営者と社員と、経営指針と愛があるから、などと思いました。
(情報化・広報部西岡)



vol.3  経営者の役割とは何かを知る 「いい商品」を創る会社へ向けた一歩

あの人に聞く

(株)ホット 代表取締役 石田 貴之
(大阪南東ブロック/東住吉支部/2003年度入会)

PROFILE
所在地:大阪市東住吉区西今川
設立年(創業年):1978年 / 資本金:1,000万円 / 従業員数:13名
業務内容:服飾雑貨 製造卸売業(紳士・婦人バックル、紳士・婦人ベルト、装身具全般)

創業以来経済不況が直撃、3度引っ越した本社社屋

創業当初は住之江で操業していました。その社屋も手狭となり1984年に東住吉の北田辺に引っ越しました。先代が独立以来服装金具中心に開発し日本で製造してきましたが、おおよそ35年前に時代の流れで製造は海外に出すことになりました。初めは韓国で製造していましたが、次第に生産を中国に移してきました。生産が海外に移るとタイムラグが生じるので、在庫を抱えなければいけなくなり社屋がまた手狭となりました。1999年に東住吉区にある3階建ての駐車場もある建屋に移転しました。その場所で10年営業していたのですが、2008年のリーマン・ショック以来売り上げが落ち始め、とうとう5年後に赤字となってしまいました。落ち始めてからさまざまな取り組みをしましたが、大きな効果が認められず、このままだとつぶれるのではないかということが頭をよぎりました。幸い社屋はずっと賃貸でしたので、経費削減のために思い切って現在の今川に引っ越しを決断しました。


固定費削減するも新たな取り組みができず社員が退職


倉庫の在庫

借りるスペースが半分くらいになるため、たまりにたまった在庫をこの機会に処分するのですが、それは大変な作業で、社員にも負担をかけました。引っ越しの準備に半年、徐々に営業拠点を移しながら3カ月と赤字にもかかわらず8カ月ほど2カ所の家賃がのしかかっていました。そのタイミングで職人さんにも解雇通告をしなければいけないという辛い思いをしました。セミナーを受けたのはそれから半年後でした。赤字続きで先行きが見えない状態で受講しました。受講した時さまざまなアドバイスをいただき二度と社員を解雇したくないという思いが湧き起こりました。引っ越して固定費削減はできたけれど、新たな取り組みもできず会社の雰囲気が悪い状態で、自主退社を申し出る社員がぽつぽつ出ました。今から思えば私自身が自社の未来が見えない状態で「やめんといてくれ」といっても説得力もなく引き止められるわけもありません。

同友会との出会い

実は、私がこの会社に入ったのが2000年でしたが、それまでは商品の輸出入にかかわる会社に勤めておりました。2回目の引っ越しが落ち着いた1999年、突然の父の悲報のため急きょ代表取締役就任となりました。事業の方は学生時代に休みの日に家業を手伝っていたり、春休みや夏休みの時に中国の仕入れ工場に先代に連れられて社会見学で訪問もしていました。そんなこともあり業務はなんとか引き継げましたが、経営することがどういうことであるかは考えず、とにかく目先の仕事をやっつける日々でした。父の悲報から5日後に退職を申し出たにもかかわらず、こころよく送り出してくれた前職の常務さんが同友会会員でした。その方に「経営するんやったら経営の勉強せなあかん」と誘われて入会しました。

例会初参加の印象

参加はしてみるものの私の考えとは全くかみ合わず、その時の私は経営者目線は持ち合わせておらず討論の話が頭に入りませんでした。当時はすべての社員よりあとに会社に入ったということで、すべての業務を自分でやろうという気概で挑んでいましたので、単なるプレーヤーだったのです。気がつくとほぼ10年会を休眠していました。ところが高校の同級生と飲みに行くと、そのうちの二人がたまたま入会していたことを聞かされました。その時はどうも私の考えとは合わず参加していないと告げた覚えがあります。そのうちの一人から例会に誘われて2度ほど参加はしましたが、活動はしていませんでした。

同友会活動が始動

リーマン・ショック以降に業績がだんだん落ち込み赤字が続く中、支部再編で地域に所属することになります。私の中ではこの赤字をどうしていいのかがわからず、支部再編をきっかけに活動してみよう、そこから変えてみようとチャレンジが始まりました。入会当初は住吉・住之江支部だったのですが、現在は東住吉支部となっていて入会17年になります。活動が始まると支部例会委員会に参加しました。当時の支部長が経営委員会の高校求人部長ということもあり、例会のリハーサルが侃侃諤諤(かんかんがくがく)、奮闘するところを目の当たりにしました。そしてその話に入っていけない自分がいたことに落胆し、もっと経営を学ばなければいけないと思えた瞬間でした。


作業中

指針セミナー受講と不離一体で相乗効果

そうこうしながら活動していたらセミナー受講の話がありました。赤字続きでそれどころではないはずなのですが、ちょうど何かを変えたいけれど何を変えたらいいのかわからない、そんな時でした。いろいろなタイミングが重なり受講することにしました。気がつくと現在は経営委員会の経営労働部部長としてセミナーを担当しています。今期は支部の中で幹事長を務めます。また、支部で行っている東住吉塾(小グループ勉強会)の塾長もしています。偶然にもセミナー受講直前に弊社の得意先の顧客から新たなブランドを立ち上げることを相談されていました。ただ、その仕事をなぜ弊社に相談しているのかがその時点では明確ではありませんでした。商品開発をしながらセミナーを受講すると自社ドメインが明確になり、強みと弱みを考察することができました。


工具

現在の経営に対しての課題

セミナーを受講してから理念や指針書などは作りましたが、社内で落とし込めているかと言えば、まだまだできていると胸を張って言い切れません。ただ、毎年個人面談をしてその際に指針の計画などを伝えています。しかし実際にはその計画がうまくすすむ部分もありますが、なかなかすすんでいないところもたくさんあるので、その部分は今後もっと詰めて考えていきたいです。

経営指針セミナーを受講して

正直、指針経営はしているもののうまく社員を巻き込めておらず、指針書は私自身が更新しています。ただ、社員からは「私自身が変わった」と言われる場面がありました。今から考えるとすべてにおいてプレーヤーでマネージングもできておらず、やることなすこと場当たり的だったのだと気づけたのはセミナーを受講したからだと感じています。受講してから経営に対する視点が変わり社員や雇用に対する考え方も完全に変わりました。指針経営に入ったあとは数字的なことも併せて見てもらい、危機感を共有できたことで大きく会社が動き始めてきました。社員にある程度任せても大丈夫だと思えるようになりました。


試作のプロトタイプ

今後の展望

当然コロナ禍は大きな影響を及ぼしています。緊急事態宣言で服飾雑貨を扱う店舗の相次ぐ休業で多くの会社は販売が大きく落ち込んでいますし、さまざまなことで状況がガラッと変わりました。この大きな変化に対応していくために変えるべきところは積極的に変え、変わってはいけない自社の個性・特徴というのか本質の部分はもっと尖らせて、磨いて強靭な体質になっていくことをめざしています。変化させていくところでは新しい分野の商品展開をすすめています。また、販売の仕方も変化しどんどん多様になっていますが、あまりこだわらず取り入れていって、できることを広げていくことに取り組んでいます。変わらないところは新しいもの、安心・信頼できる商品を作っていくこと。ごく基本のことですがもっと磨いていく・質を上げていくために何をするかを考えて取り組んでいます。また高齢化した平均年齢を一気にはできていませんが、改善に取り組んでいます。とはいえベテランスタッフの経験や知識は貴重です。若手をベテランがうまくフォローできる形をどう作っていく?なんて話しながらこれからも続く組織をめざしています。(取材:荒田、山田、写真:田村)

HOT CO.,LTD. 第4期 (2021年度) 経営指針書より

 経営理念



 中期 (5年) ビジョン
 2025年 私たちの姿


私たちの「いい商品」は様々な服飾雑貨に及んで います。
これまで金物服飾雑貨の製造がメインでしたが、国内の皮革製品工場との提携で同社の生産・販売等一切に携わることとなり、ベルト本体や皮革製品等金物以外の試作も迅速に製作できることが新たな強みとなりました。また海外生産に加えて国内自社生産ができることで、多種・多様性が求められている流れに対応して確かな成長をしています。更にこれまでの製品に留まらず、様々な服飾雑貨の開発・製造にも力を入れて取り組んでおり、そのために必要となる設備を積極的に導入して私たちの出来ることがどんどんと広がっています。次の5年は服飾雑貨だけでなくて色々な雑貨を、色々な雑貨でもっともっと「いい商品」を創っていく、その土台が出来上がっています。
もっともっと「いい商品」を創る会社に。

スタッフ数15名平均年齢42歳~45歳(60歳1名、56歳2名、53歳1名、52歳1名、51歳2名、45歳1名、41歳1名、37歳2名、29歳1名、20~35歳3名)自分たちの商品が色々なお店やECサイト・SNSで見かける機会が益々増え、家族にちょっと自慢してみたりと誇らしげに感じています。作業場スペースが増設され、作業効率はかなり改善されたのですが、既に手狭になってきていて、またまた課題に直面してしまっています。事務所も改装し、高い棚も無くなってとても開放的で広々と感じるようになりました。自然とスタッフどうしのコミュニケーションも多くなり、協力し合ってスムーズに仕事が進んでいます。「緑を増やしたりして過ごし易い空間にしたい」と女性スタッフが中心に行なったレイアウトがご来客の皆様に大変ご好評頂いています。(原文通り)

【進化の扉】
取材をしてようやく真の課題が見え、会員の人となりを知る。広報部員の冥利に尽きる役得かも。学びを深める扉を開けてみると、自身の課題とも重なっていく。

指針セミナーと自社経営の同時進行で深まる気づきと学びでV字回復


大阪南東ブロックの指針セミナーは石田氏なしには語れません。赤字からのV字回復と同時進行で、指針セミナーを受講したことが他の人に比べてぐっと深く噛みしめられたのではないでしょうか。指針セミナーを受講したあとに、自社経営の間違いに気づくことができた。しかも従業員さんから石田氏が「変わった」と、よく言われるそうです。そんな時「はっ」と指針セミナーを受講したことが良かったと気づかされる瞬間だと語っていました。また、石田氏いわく「まだまだです」と、いつも謙虚な姿勢で取り組んでいるところに伸びしろがあり、指針セミナーの大切さが理解できているからこそ自然に指針セミナーの運営に足が向くのだと、感じました。自社の風土づくりを促進するために一人ひとりとの面談も欠かさないそうです。指針セミナーの運営にかかわることでさらなる気づきに出会うことがあり、自社経営の実践に取り入れているからこそ、継続して指針セミナーに向き合えるのだと思います。受講後は赤字に陥ることもなくコロナ禍でも受注に大きな変動がないのは、地に足がついた指針経営が後押ししている気がしました。(情報化・広報部荒田)



vol.2  2018年に立てた2023年ビジョン(夢物語)がどんどん実現!

あの人に聞く

(有)伊藤歯車製作所 代表取締役 伊藤 雄一郎
(大阪南ブロック/かんくう支部)

PROFILE
所在地:本社・工場/大阪府岸和田市磯上町(岸和田工業センター協同組合内)
URL: https://ito-haguruma.jp
創業:1951年4月 / 設 立:1957年4月
資本金:1,500万円 / 年 商:2億4,000万円(2020年度1月期) / 社員数:32名
業務内容:各種歯車及び歯車関連部品の加工・製造・歯切り、歯研、設計、ミーリング工事一式及び設計

自社の概要及び事業紹介

会社は関西国際空港に近いだんじり祭りで有名な岸和田市にあります。昭和26年にこの地で祖父が歯車工場を創業しました。当時は泉州地方の地場産業であった紡織機メーカーの専用機部品としての歯車を加工していました。昭和32年に会社を法人化、昭和55年に現所在地である岸和田工業センター内に移転しました。平成元年に父が2代目として会社を引き継ぎました。バブル経済が終焉(しゅうえん)し、時代の変化と共にそれまで主流であった歯車の部分加工のみの仕事から材料共全加工での歯車の製造が主体となっていきました。平成30年に2代目の父から事業を引き継ぎ、今年2月より65期目を迎え5月現在、社員32名のみんなと一緒に日々歯車の製造と社内の風土づくりに勤しんでいます。


製造工場内風景

【歯車について】
歯車は円です。円周上に歯車の歯を加工しています。ということはそこに円周率が関係していきます。円周率は割り切れません。その割り切れない円周上に歯を加工します。そこには必ず誤差が生じます。その誤差をいかに小さくするかが歯車の精度です。100分の1mm、1000分の1mmといった単位で加工誤差を計算します。それでも狂います。身近なものでは時計です。時計の歯車はうちでは作っていませんが、原理は同じです。ずっと使っていると速くすすんだり遅れたりします。それが誤差です。回っているものはすべて同じです。地球も回っています。そこに誤差があり、その誤差を調整するのが4年に1度のうるう年です。そんな大きな仕事をしているのだと誇りに思うこともあります。誤差0は不可能かもしれませんが、いつかそんなことが実現できたらと思います。それは人も会社も同じです。完璧にはなれないのかもしれませんがそこをめざし少しでも近づきたいです。


歯車の歯切れ

経営指針セミナーに出合った経緯

私が初めて経営者であることを自覚したのがリーマン・ショックの時でした。受注が減り売り上げが半分になりました。雇用調整助成金の申請手続きを全部自分でした時に、はじめて経営の数字というものに向き合いました。その後も当時専務をしていた叔父が退社するなど大変な時を乗り切り、社内改革に着手しましたが何をしてもうまくいきません。社員の病死などもあり自分を見失いかけていた時に同友会と出合いました。どうすればみんなが同じ方向に向けるのだろうと悩んでいた当時、入会式で経営指針セミナーの話を聞き、飛びつくように受講を決めました。セミナーでは助言者からの「歯車って何?」との質問と「信頼関係ってどういうこと」という質問がずっと頭の中をグルグル回っていました。とくに「歯車って何?」という質問に対し、うまく伝えることができません。セミナーの最後で信頼するということ…社員は頼ってくれるのを待っているとの言葉…。そこでいろんなものが一つになって「歯車ってみんなで動かすもの」という言葉が自然と出て、それが自分の心の奥にストーンと落ちてきました。その瞬間私の中で確固たる芯ができました。


現場が共有の場

現在の経営に対しての課題

2023年ビジョンを今すすめています。社員への浸透はまだまだですが、少しずつでも着実にそのビジョン達成に向けてすすんでいる事実を見せ「ほらな、大ぼらでもなんでもなく言ったことがホンマになっていくやろ」と言うことで、私だけの小さな夢から社員全員の大きな夢に向かう企業にしていきます。現在の課題はリーマン・ショック後二度と雇用調整助成金を使わなくてもやっていける企業づくりをしてきたつもりでしたが、今回のコロナショックで制度を使わなくてはならない状況になってしまっているということです。営業力を含めたビジネスモデルの見直しや、さらなる進化を見据えた社内改革などやるべきことは尽きません。


【ビジョンの中にあるAIを使った工程管理システム】


管理ボード

少量多品種の工程管理をしながら、フレキシブルな対応ですべてのお客様に満足してもらえるように現在運用している工程管理システムに、AI機能を追加して超高効率な工程の組み立てをリアルタイムで行い、誰がどの仕事をいつまでに終わらせるという管理を考えています。今回の雇用調整助成金制度から時短作業を選択して仕事をしていますが、製造現場ではリモートワークはできません。それなら働き方において定時まで働くという考え方から、今日やるべきことを終わらせれば終業という考え方にシフトできるのではと考えています。そのやるべきことをどうやって品質を守りすすめることができるのかが課題ですが、3S活動を通して腰を据え全社一丸となって考えることで実現できると思っています。そのことによってこの会社で働きたいと思う人たちが増えていくのではと考えます。

経営指針に対する思い

経営指針書を作成して公表したことが一番よかったと思います。言うだけでなく書いてあるので勝手に変更できません。自分と社員との約束であり社員同士の約束なので守らなければウソになります。常に振り返り掲げた目標への進捗確認ができることがいいと思います。それを続けることで場当たり的でなく社員としても私の言っていることが一貫していると感じてくれるのだと思います。

同友会にて学んだこと

同友会入会は2014年です。今年度かんくう支部で支部長をさせていただいています。私が同友会で学んだことは全人格的成長をめざすということです。そのためには主体的に考えるということです。すべては自分の責任だということ。何かをすることはもちろん、何もしない、何も動かないということもすべて責任だと思っています。それだけ責任、責任と言われると正直怖くなります。でも経営者として社員を守り、会社を守り、社会を守っていく責任があると考えるとそこから逃げ出すことはできません。だからこそそんな責任と向き合うために私は理念が必要だと考えています。同友会でいろいろな方の報告を聞きいろんな手法を聞いたりしますが、ただ真似をしてもうまくいく気がしません。その奥にあるその方の理念や思いを受け止めて主体的に行動するからこそ、うまくいくのだと思います。私は同友会でみなさんがどんな思いを持ち、どのようにして自社と向き合い、社会から必要とされる会社をめざしているのかを考えます。うまくいったりいかなかったり、その度にいろいろな葛藤に悩みながら成長したのだと思うと、その時の心の変化やそれらすべてを含む経営者としての姿勢というものを学ばせてもらっていると思っています。自分の姿勢というものがなかなか見えないことが多々あります。自分の姿勢をしっかりと正してくれるこの同友会でたくさん刺激をもらい気づき、いろいろな学びを持ち帰って会社で実践していきたいです。
(取材:山田、荒田、写真:田村)


オペレーターによる仕事

(有)伊藤歯車製作所 「第65期経営指針書」より

 経営理念

私たちは、互いに思いやり
みんなの力で動く活気ある企業を目指します
私たちは、歯車を通して
確かな技術力で生活を豊かにします

 2023年ビジョン
 2年先、伊藤歯車製作所のありたい姿

2年前に工場の拡張改修工事を終えて、2階建てとなり1階部分は空調完備の工作機械エリアで工程に合わせ機能的に機械が配置され、安全で快適な作業環境の中、25名の社員が意気揚々と作業をしている。
2階は事務所、更衣室、食堂、会議室、検査室、出荷梱包場所、資材倉庫のエリアに分かれていて営業が3名、生産管理が2名、事務員が3名、品質管理が3名、出荷梱包に2名の社員がいる。
生産管理が中心になって進めていたAIによる工程管理システムがいよいよ稼働し始め効率的な工程管理が実現できる。このシステムと共に新たな営業ツールとして国内企業だけでなく海外企業にも攻勢をかけていく予定だ。
月に一度の【3S活動日】には活発な意見交換が出て会社の改善活動のさらなる飛躍の日になっている。そのことが社員共育にもつながり、弊社の企業風土を形成する大きな要因になっている。

毎年、新卒社員が入社して現在社員数は40名となった。工場見学に来て下さる方々も増え、その度に弊社の社員のモチベーションが上がっていく。自分たちの仕事に誇りを持ち、自信がついてきたことを実感している。それぞれがしっかりと目的を持ち、目を輝かせて自分のやってみたいことや夢や希望を語っている。
売り上げは5億を超えたが残業自体は減少している。納期遵守率も飛躍的に上がった。これはひとえに社員みんなの思いがうまくかみ合って、回っている証拠だ。互いに助け合い、思いやることで社員1人1人が本当に成長している。
5年前に掲げた47都道府県すべてにお客様を作る目標も去年達成し、その得意先回りに社員と共にあいさつに行き、ご当地の美味しいものを食べて回っている。
来年は自分の技術を生かしたオリジナル製品を携えて5年前に視察したドイツのハノーバーメッセへの出展を予定している。いよいよ世界から受注を始める前段階にきた。商社と共に戦略を立てている。この先を見据えて始めた英語も上達してきた。
今年の面談も終わり、今月の3S活動日に指針作成会議をして次の5年ビジョンを社員と共に作る予定だ。次はどんなことを実現してやろうかと社員と共にワクワクしている。 (※2018年作成 原文通り)


歯車

【進化の扉】
取材をしてようやく真の課題が見え、会員の人となりを知る。広報部員の冥利に尽きる役得かも。学びを深める扉を開けてみると、自身の課題とも重なっていく。

経営指針書の見本は周りを見渡せばいくらでもあります


結構時間と労力をかけて経営指針書を毎年作っていますが、これで完全と思えたことはありません。完全を求めて同友会仲間の方から指針書を見せてもらったりしてきました。10年ビジョンは10年先こんな会社になっていたい、なっているとの思いを込めてつくっていきます。これは10年目にいきなりこの姿になるのではなく、ビジョンを掲げたその日から一つひとつ叶えていくものなのだと改めて気づかされました。経営指針とは円周率のように永遠に割り切れないが、少しでも精度を上げていくことへの追求が指針書による経営になるのだとさらに気づかされました。2021年度大阪同友会は「すべての会員が経営指針に基づく企業経営の実践」を方針に掲げていますが、コロナ禍でなかなか指針セミナーができない現状です。しかし、周りを見渡すと必ず身近に手本となる指針経営をしている仲間がいます。たとえそれが1ページだけの指針書であっても必ずヒント、見本になる指針書だと思います。(情報化・広報部山田)



2021年度、新たに巻頭にはシリーズ「経営指針・実践中」を掲載いたします。会社の羅針盤ともいうべき経営指針は、それぞれの会社において何を根幹において作成され、どのように実践されているのか、経営者として最も興味があり、学ぶべきあり方を、取材を通じて皆様にご紹介いたします。

vol.1  クリエイティビティを発揮 1社依存の下請け体質からの脱却

あの人に聞く

(株)大西製作所 代表取締役 大西 隆裕
(大阪東ブロック/しろきた支部)

PROFILE
所在地:本社・工場/大阪市鶴見区横堤5丁目 / URL: https://www.ohnishi-mfg.co.jp
設立:1959年9月 / 資本金:4,600万円 / 年商:2億円(2020年度3月期)/ 社員数:20名
業務内容:産業機械(主に搬送装置)の受託開発・一式製作、金属部品(製缶・塗装を含む)製作、エキスパンドメタル製品加工

大阪市内、地下鉄の駅近くの立地で珍しいコンベヤを作る工場を見学しました。

地下鉄長堀鶴見緑地線の横堤駅から徒歩5分、鶴見緑地公園の近くに株式会社大西製作所があります。初めての訪問ということもあり早く到着、近くを少し散策しました。横堤駅から向かう道にはちょっとした散歩道があり、住みやすい地域であることもわかりました。会社の入口につくと、大きな敷地で広々とした空間が広がっていました。見たところ駐車場でもなさそうでした。のちほど話を聞いてわかったのですが、入口に広がる大きなスペースは長いコンベヤをバラして10トントラックに積み込み、出荷する際に必要な空間だったのです。ちょうど、訪問した時には出荷が終わったあとということもあり、ガラーンとしていたわけです。次回はその出荷の様子を見たいものです。さぞ、迫力があることでしょう。

そして、外から見たところ大きな敷地の割に音が少なく、もしかして本社では製作は行っておらず、第2工場が稼働しているのかと思うくらい静かでした。ところがあとで見学すると周りの住宅地に対する配慮で、できる限りうるさくならないように作業していることがわかりました。環境対応のために2004年環境認証(ISO14001、2020年よりEA21に切り替え)を取得し、全社的な環境教育に取り組んでいます。

事業はオリジナルのコンベヤの製品製作

創業時よりオーナー系子会社で、椿本チエインが4割強を出資しています。祖父が椿本チエインの近隣地にて創業しました。当時は住宅地もなくほとんどが蓮池畑のような土地で、農業が細々と営まれている地域でした。現在は旧第2 工場へ本社を移しています。
椿本チエインの本社は敷地の売却で北区へ、チエイン製造部門とコンベヤ部門はそれぞれの工場へと移転しました。売却地跡にはイオンモール鶴見緑地と公団マンションが立ち並んでいます。(株)大西製作所は引き続きこの地域で営業していて、市内で製品の試運転ができる数少ないコンベヤの会社となっています。

一貫生産の受注

建屋はA棟~C棟の3棟に分かれており、それぞれの建屋で役割分担していました。事業としては開発案件が多く、開発、設計から細かなパーツづくりや組み立て、塗装、製品仕上がりまで一貫受注のできる設備がありました。
製品仕上がりまで製作できる設備があることで、試運転が市内で可能なことから、クライアントの立ち合いに重宝されているのだと聞きました。プラントのコンベヤということもあり、組み立てると大きな製品となるのですが、いったん組み立てたあと試運転し、動作確認しなければ出荷ができません。そのため試運転で確認できたらある程度バラして出荷するという大変手間のかかる作業となりますが、仕上がり製品を作る工場としては当たり前だそうです。

入社のきっかけ

大西氏は大学の工学部を卒業後、会社勤めをしていました。今からちょうど20年前に2代目のお父さんから「独自製品を開発したい」という相談があり、(株)大西製作所に入社しました。
椿本チエインからの仕事は、チェーンコンベヤの特注品の設計と製作が中心です。2代目のお父さんまでは、1社依存体質の会社だったため、社風は指示通りに動き、余計な考えを持たないというのが当たり前でした。社長就任後の現在は、特注品以外の仕事を減らす方向ですすんでいます。売上は下がりますが、利益の追求を考えると苦渋の決断であったことと思います。

同友会入会

入会は2004年です。当時は入社4年目ということもあり、開発担当者として奔走していました。当時は受注型の経営方針だったこともあり、社の風土が言われたことを淡々とすすめる、余計なことを考えないといった感じだったそうです。リーマン・ショックでは新規受注が丸1年止まり、売上が3割減り経営が不安定な状況となってきました。そういったこともあり、独自技術をもって他社からも受注しなければいけないという思いが湧き起こります。これからの製造業はサービス業と同じ「クリエイト」に価値を見出さなければ生き残れないと確信しました。

社員と危機感の共有

椿本チエインの海外進出や生産コストの圧縮要請で、特注以外の商品に関しては、売上が上がっても利益が伸びない状態が続きます。今から思えば2001年に入社のきっかけとなった「独自製品の開発」は2代目の父にも危機感があっての相談だったのだと思い、当時のことを振り返りました。独自製品の開発なくして未来はないと考え、独自技術の特許を申請してきました。2011年より方向転換、受注型のスタイルから、独自技術を売り込むスタイルにする中、親族を含む元会長(当時社長)を支えるベテラン幹部社員が退職することになります。2008年リーマン・ショック後、2011年の東日本大震災も重なり、人件費を下げるためにお願いして引退してもらいました。
そして、2013年に指針セミナー受講。独自技術を糧に椿本チエイン以外からの受注を加速。しかし、簡単には指針が浸透しませんでした。2015年新工場操業開始、本格的に独自営業を始めました。このころから、個人面談を開始し新しい風土づくりが始まります。組織経営の変革の始まりでもありました。製造業は製品を作るだけでなく、新たな商品を作り出さなくてはいけない、一人ひとりがそれを考えられる従業員になってほしいという願いを伝えました。
 独自営業をすすめるなかで、大手の子会社ということもあり新たな販路の開拓はできたものの、だれもがやりたくないややこしい案件が集まり、売上が思うように上がらなかった経緯もありました。個人面談の際に独自商品の開発を伝え、販売に賛同が得られない場合、やむを得なく退職する社員もいました。退職の際、今後の働き口の紹介や、給料の保障などをするため、創業したての新工場をその時期に売却するという思い切った決断となりました。今、横でマンションが建とうとしています。

激動の代表が始動

2017年代表に就任し、このタイミングでしろきた初代支部長就任。幸先よく感じますが、この翌年大型台風で工場の屋根が吹っ飛ぶという災害にみまわれ、復旧に1年近くかかりました。2018年にベトナム人雇用を始めると、先に述べたように早期退職者を募りました。2019年に会長が退任。2020年は新型コロナウイルスが猛威を振るった1年でした。激動の時代を受け継いできましたが、そんなことはみじんも感じさせずに同友会活動をしています。なぜ、そんな苦労を感じさせないのかをたずねると「大変なことを言っても仕方がない、大変だと考える余裕もなかった」と語りました。

先代の心遣い

おそらく、2代目のお父さんが就任の際に苦労をした経験から、3代目に無理なく引き継ぐために早い段階から徐々に仕事を任せてくれたと大西さんは言います。会長を2年間務め、対外的にも安定の経営体質を遂行しました。会長退任後の現在でも、相談役として新商品が開発できると見に来ているということでした。ものづくりに従事してきた者として、自社の新商品ができると子どもが生まれることのように喜んでいるそうです。

コロナ禍での営業活動

通常であれば自社商品をセールスに、紹介などを伝って訪問も可能かと思うのですが、コロナ禍で簡単ではありません。そのためテレアポの業者と契約し、自社のセールスをすすめています。もちろん確率は低いですが、何もしないわけにもいかないので、少ない数でも興味を持った企業に対してセールス活動を続けています。

今後の展開

指針書にビジョンが掲げられています。公開はできませんが、他社の新製品を開発していました。モノを動かす(運ぶ)ための技術が得意なので、その動きを上下させる設備の開発も手掛けています。これからも独自商品の開発、設計を追求して、他社との差別化を図っていくことでしょう。今後、技術開発者がますます必要になります。現在は開発案件の多数を代表である大西氏が補っていますが「その事業を担える人材を育てていきたい」と話を締めくくりました。

(株)大西製作所 「第62期経営指針書」より

 経営理念

我々は、ものづくり集団として技術・技能の進歩へ貢献することで社会における永続した安心を提供する

 経営理念の解説

当社がメーカーとして保持する、ものづくりに関する固有の技術やノウハウを発展させて製品に反映させるとともに、新たな技術開発による製品づくりへの取り組みを進めます。そして当社の製品が高い品質と性能を伴って客先に設備として供給されることにより、信頼と安心が保証され、その先にある人々の社会生活基盤の安定につながり、社会へ安心の提供がなされます。また、そのような目的意識を会社内にて集団として共有することにより、それぞれが高い志を持ってさらなる成長へとつなげていきます。
(代表、大西 隆裕 発信)

 大西製作所ビジョン2030(一部抜粋による)

将来展望・新たな柱を作り続けられるような体制作り
    ・顧客の業績拡大に繋がるお役立ちの仕事を受ける
    ・今ある仕事が常に変わり続ける
    ・特定の個人に頼らない組織運営
    ・社員一人ひとりの人生の充実

10年後にありたい姿
    ・売上5億円、社員30名(20%は女性社員、10%は海外出身)
    ・海外への自社製品輸出
    ・営業および製品サポートのための支店開設

大西製作所の2030ビジョンの組み立ては、技術力、設備力、生産力をもって製作する装置や部品をいかに顧客ニーズと合致させるかに焦点を合わせています。上記経営理念とその解説を受けて、コロナ禍における不透明な経済の中、新たな体制づくりを固めるため全社員に向け発信されたビジョンの骨子をご紹介しました。未来への取り組みが、営業、人事労務に分けて具体的で、明確に記され分かりやすいです。この他中期計画も作成されていますが、誌面が狭いためご紹介できないのを残念に思います。 (編集 西岡)

【進化の扉】
取材をしてようやく真の課題が見え、会員の人となりを知る。広報部員の冥利に尽きる役得かも。学びを深める扉を開けてみると、自身の課題とも重なっていく。

経営理念、常にその意味を問う


生産過程における元請け下請けの関係は商いの伝統ですが、そこには必ず上下関係が発生します。利害関係はやはり元請けが有利かというと、大半はそうですが、中には付加価値のある無二の製品を製造する技術にたけていることで、下請けが元請けを上回る存在になることもあり、それが期待されます。売り手・買い手・使い手と三方よしの関係は理想に過ぎないのか、それとも成し得ることなのかを問う取材でした。(株)大西製作所は大手の製品製作の下請け企業として関係会社から資本参加を受け入れました。しかし長い年月の間には独自で利益を確保できる関係ではなくなってきたと言います。下請けからの脱却、独自の製品の開発、エンドユーザーへ手が届く最終完成品の創作を試み、取り組んできた十数年でありました。体制を変え変革をするには、大きな犠牲が伴い苦しみにさいなまれます。しかしそこに再確認する経営理念があり常にその意味を問う、長いスパンで理想を掲げた2030ビジョンがあり、社員と共有し企業変革を実践していく、そんな姿を見せていただきました。
(情報化・広報部 西岡)

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