大阪地域自慢 わが街探訪

vol.59

大阪地域自慢

鶴を見に来る人が多かった街
~花と緑の豊かな自然を満喫~

大阪東ブロック・しろきた支部 ヘキヨー(株)米川 心祐

6000年前この一帯は河内湾という海でした。鶴見区は河内湾海底の中央部に位置しています。やがて淀川が運んだ土砂により農作物がよく育つ平野が作られました。


鎌倉時代、源頼朝が富士の裾野から千羽の鶴を放したところ、この地に飛来し、その鶴を見物に来る人に因んで「鶴見」という呼び名ができました(伝説)。
時は流れて現代、1974年に城東区から分離され鶴見区が誕生します。鶴見区といえば、花博が開催された鶴見緑地が有名です。1963年から大阪市内から出る家 庭ごみと地下鉄建設時の残土を重ね、当時の高さ47mの鶴見新山ができました。そのころはごみから発生するガスで山の上の煙突から炎が上がっていたようです。その後1970年に緑地として造成が始まり整備がすすめられました。


そして1990年に国際花と緑の博覧会(花博)が開催され、2,312万7千人の来場者がありました。開催に合わせ地下鉄鶴見緑地線が開通しました。 現在、花博跡地は鶴見緑地として休日には多くの人々の憩いの場所としてにぎわっています。花と緑がおりなす豊かな自然を満喫できます。
比較的に新しい区ですが、歴史は古い鶴見区を散歩してはいかがですか。

~ 広報委員からのひと言 ~

1990年といえば日本は高度成長の最終段階。バブル経済を引き起こし、その後の崩壊を見るといった時代でありました。とにかく豊かな気持ちと日本人として誇りを持った時代だったかな、と思います。花博の行列に並んだ記憶も蘇ってきました。緑地公園となった後、再び訪れたのはサーカスの天幕が張られた時。街の中にある緑地は多目的です。(編集西岡)

vol.58

大阪地域自慢

地域一丸となる夏祭り
~お祭りを経営に生かす~

中河内ブロック・八尾支部 (株)ヤマヒデ ラポール壱番館 山田 剛史

日本には数多くのお祭りがありますが、1,000年以上続くお祭りはごくわずかです。例えば日本三大祭りの一つ「天神祭」は1,000年以上の長い歴史があるのは有名です。その天神祭に負けず劣らず1,000年以上続くお祭りが八尾市にもあるのです!それは毎年8月1日に開催される「恩智祭り(おんぢまつり)」です。地域の方々が全勢力を注ぐお祭りで地域雇用が多い弊社でもその日ばかりは休み希望者が続出です!


【見どころ① 宮出】
なんといってもまずは「宮出」。重さ2トン近くある布団太鼓を担いで131段ある急な階段を一気に町に向かって下ります。
【見どころ② 担ぎ合い】
日中に町中を駆け回り午後8時ごろから、布団太鼓の進路を神輿が阻む攻防「担ぎ合い」が繰り広げられます。
【見どころ③ 宮入】
そして下ってきた131段の階段を今度は逆に布団太鼓を担いで押し上る「宮入」。


開催までには団長を中心に計画、練習、確認、改善が繰り返し行われていると聞いています。その結果、お祭りが安全に開催され皆さんを感動させていることにつながっていると感じます。自身が経営者をめざすようになってからはこの恩智祭りには経営のヒントが隠されているのではと思うようになりました。団結力で会社を成長させスタッフと共に喜びを共有する。それを実践できれば100年、いや1,000年続く企業も夢ではないかもしれません。皆様もそんな恩智祭りにぜひ足を運んで実感してみてください。

~ 広報委員からのひと言 ~

神々がおわす日本はどこに行っても神事のお祭りがありますが、恩智祭り、こんなにすごいとは!地域の男衆がひとつの目的で体力を使い果たす、男気に何ともいえない信頼とつながりがうまれるのでしょうね。こんな祭りがあるからこそ八尾の地域が人情深い、まるでみんな兄弟のようにまとまります。経営にも通うものがありですか。(編集西岡)

vol.57

大阪地域自慢

自転車通勤から見える我が地域
~住工商混在の街に感謝~

大阪南東ブロック 西成・住之江支部 日生金属商事(株) 松浦 貴嗣

私は自宅が住之江区で、会社が西成区にあります。毎朝自転車で片道約15分の道のりを通勤しています。自宅を出て約2分で木津川を渡る橋を通る時には、都会ではあまり目にすることのない漁船が見えます。橋を通過すると景色は一変して大手運送業をはじめ、鉄筋やパイプなどを扱う企業が連なる地域になり、その後しばらく走ると病院やスーパーマーケットなどがある北加賀屋という大きな交差点を渡ります。すると私のなじみのお好み焼き屋、中華店、居酒屋などが軒を連ねるにぎやかな場所を通り過ぎて、住宅地を抜けると会社に到着します。住工商が混在する地域で通勤時間往復30分、近所にはおいしい飲食店や温泉などがある地域で過ごせる毎日に感謝しています。


週末に妻と散歩している新木津川大橋からの夜景は最高です。写真は昨年区役所主催の「地域ビジネスプランコンテスト」で受賞した時の写真です。このコンテストを機に地域の人たちの交流が増えてきて嬉しく思っています。


~ 広報委員からのひと言 ~

すがすがしい朝の空気の中を自転車通勤、大阪の産業が凝縮した道のりです。また、この地の夜景は工場見学と合わせた“夜景を楽しむツアー”にも道中、登場するとか。地域ビジネスコンテストで受賞、素晴らしいです。遠くにはUSJや、あべのハルカス、通天閣も見えるのかな。自宅と会社が近い、何よりの構図かもしれません。(編集西岡)

vol.56

大阪地域自慢

TEMMAをゆく
~食と人種のカオス~

大阪北ブロック・阪神支部 (株)AURA 松永 巳知子

週末の18時にJR環状線「天満駅」にまずは降り立ってください。「今日ってお祭りがあるの?」とそこで待ち合わせる人たちに聞いてみたくなるでしょう。
駅のすぐそばには日本一長いといわれる「天神橋筋商店街」もありますが、めざすは商店街よりも東の地帯。中華、イタリアン、立ち飲み、焼き肉、お好み、居酒屋…どこも超満員。大きな声で話し、笑い、盛り上がっているので、「何時から飲んでいるんだろ」と不思議な空間がそこにあります。


天満の居酒屋に人は憩い

「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃなソンソン」とばかりに、ぎゅうぎゅうの空席に座り、「ほんまに生ビールか?」と思うビールを飲み、明らかに解凍しただけの枝豆をつまむと、いつの間にか知らない隣の人と話せてしまう。「どっから来たん?」「万博公園の近く」「わざわざ?」「そうそう」なんて話している間に、アテ(おつまみ)の交換。
さらに盛り上がってくると、英語も話せないのに、その隣の明らかに旅行者のアメリカ人にも話しかけてゆく…そんな経験をしたい方、ぜひ我が天満にお越しください。


昼から深夜までにぎわいが続く

~ 広報委員からのひと言 ~

…そんな経験がしたいですう~と再び思いだしました。若いころ淡路の会社に勤めておりまして、仕事帰りに繰り出すとなると天満、天神橋。北三支部の合同例会に呼んでいただいたときには正にこの詰めつめの居酒屋懇親会で、酒もよし料理もよし。遠くの外国人のお客も盛り上がって、和食文化を楽しんでいる?ここはコミュニケーションの原点かも。 (編集 西岡)

vol.55

大阪地域自慢

鳥居の向こうに巨大な獅子殿
~難波八坂神社~

大阪中央ブロック・臨港支部(株)イングネット 谷澤 康裕

グーグルマップにも「獅子頭の形をした舞台で知られる小さな神社」と紹介される大阪八阪神社。古来「難波下の宮」と称され、難波一帯の産土神でした。歴史は古く、詳しい資料は残っていませんが、平安時代以前に創建されたとされています。そんな大阪八阪神社の一番の見どころが1974年(昭和49年)に完成した巨大な獅子殿。この場所は昔から子どもたちの獅子舞が盛んで、常設の舞台を作るにあたり「日本一の獅子頭を」ということで作られたそうです。


インバウンド観光客にも人気の獅子頭

高さは12メートルで、4階建のビルと同じ高さに相当し、お正月や夏祭り、神事の時には、獅子舞や舞踏などが奉納され、その際になんと目はライト、鼻はスピーカーになるそうです。そして、気になるのがこの獅子殿のご利益。巨大な口が勝利を呼び込み、万人の苦難や邪気を飲み込んで勝運(商運)を招くということで、学業向上、合格・就職・商売繁盛を祈願しようと全国各地から参拝する人が訪れています。


鯉の形の恋みくじ

巨大な獅子殿以外にも「恋」にかけた「鯉」のお守りや、パワースポットとしても有名な大阪八阪神社。光る目と音のなる鼻を見に、来年の夏祭りにもう一度訪れようと思います。

~ 広報委員からのひと言 ~

大阪難波の八阪神社、これはうっかりしていました。八坂といえば京都ばかりかと思っていたのですがここは下の宮と呼ばれた祇園の神様の親類のようなところなのですね。それにしても社殿の写真をご覧ください。大きな獅子頭に飲まれるようにお参りするみたいです。ぜひ近々行ってみましょう。
(編集西岡)

vol.54

大阪地域自慢

昔の風情、技術・伝統を今に引き継ぐ街
~堺市堺区・百舌鳥・古市古墳群~

大阪南ブロック さかい浜支部 IS司法書士法人 脇田 直之

先月、百舌鳥・古市古墳群が世界遺産に登録されました。その中でも最大を誇る仁徳天皇陵古墳は堺区にあります。堺は昔から製造業が盛んでした。「もののはじまりなんでも堺」といわれるくらいです。包丁、自転車、線香、傘など、皆さんが使っているものも発祥は堺といわれています。


幕末維新の教育文化センター郷学所跡

堺区の阪神高速15号堺線から西側は、昔の風情が今なお残る街です。有名な山口家住宅の主屋は1615年、大坂夏の陣の戦火により市街地が全焼した直後に建てられた、国内でも現存する数少ない江戸初期の町家のひとつとして、1966年に国の重要文化財に指定されています。


紀州街道に沿う文化財、商家風景

そのほか、包丁展示館、自転車博物館など伝統と技術を知ることができる施設もあります。くるみ餅、芥子餅など古い和菓子のお店もあります。そんな歴史と伝統ある地域で経営させてもらっていることは、とても幸せだと感じます。

~ 広報委員からのひと言 ~

ニュースで聞いたのは、世界遺産登録を記念して、仁徳天皇陵を高いところから見物できるような施設を行政が造りたいとか、小型飛行機を飛ばして周遊観光のサービスを考える業者が出現したとか。突然沸き立った嬉しいお話でしたね。そして堺には時代を先取りしてきた勇姿が今も残ります。
(編集 西岡)

vol.53

大阪地域自慢

京街道をゆく
~関目発祥の地と七曲り~

大阪東ブロック・大東四条畷支部(株)今井広告研究所 今井 あきら

会社がある『城東区関目』という地名の由来を調べるために歩いてみる。まずは氏神様にごあいさつを…と関目神社に立ち寄ると「関目発祥之地」と書かれた石碑があり「この地はもと関目といい、古くは榎並荘の時代からあったもので、関目というのは、この地に見張所(目で見る関所)があったことから起ったと言われる」とのこと。

さらに「関目の七曲りとして大阪城の防備に役立ったという重要な地であった」とあるので七曲りを少し 歩いてみることに。豊臣秀吉が大坂城築城の際に道路をわざと曲げた形にして、敵兵の陣形や兵数を上から見渡せるようにしたのだという。通り過ぎる車はゆっくりとしたスピードで慎重に走っている。確かにくねくねと右に左に大きく曲がっている。歩いていると「京街道」と書かれた石碑があること にも気づく。「2.3キロメートル」と掘られており、大坂城京橋口から、守口宿、枚方宿、淀宿、伏見宿を経て京都まで通じていた街道の面影を感じることができた。

最後に、今井広告研究所に車で来ていただいたことがある方は、会社の周りの厄介な一方通行に迷惑されたかと思う。なぜ一歩通行が多いかというと、昭和45年頃から住宅地内の歩行者の安全向上を図り、住民が住みやすい環境を目指した街づくりが行われたため、順次一方通行規制が適用されたからだという。関目は人にも優しい街だった。

~ 広報委員からのひと言 ~

関所の見張所があったから関目とは、思わぬ歴史の勉強になりました。太閤秀吉さんは京都の方からの敵方の攻めに備えて、特に京橋口の守りを固めたとい われておりますが、終戦後の道路が大きく変わっている中、今もこのような大坂城築城以来の知恵が残っているとは驚きです。(編集西岡)

vol.52

大阪地域自慢

ラグビーの街ひがしおおさか
~ラグビーの経験を経営に生かす~

中河内ブロック・東大阪第一支部(株)水野製作所  水野 佑哉

2019年9月より、日本でラグビーワールドカップが開催されます。ラグビーワールドカップは日本各地で予選が開催され、決勝は神奈川県の日産スタジアムで行われます。東大阪でも、東大阪市花園ラグビー場で予選が開催されるということで、さまざまなイベントが催され、にぎわいを見せています。花園ラグビー場は、ラグビーの聖地といわれており、冬には高校日本一を決めるラグビー専用の球技場として全国的に知られています。ラグビーは危険というイメージが強いスポーツですが、タックルやスクラムなどの危険なプレイが無い「タグラグビー」が普及し始めており、年齢や性別、経験にかかわらず皆で楽しめるスポーツとして再度注目を集めています。私の家族は、妻は元マネージャー、娘と息子も幼児ながらにラグビーをしているラグビー一家です。当初は嫌々練習していた娘も、今ではボールへの執着心と闘志を燃やす立派なラガー女子へと成長しました。

また、ラグビーを通して一生のかけがえのない友だちづくりをしてほしいという思いを込めて、子どもたちにもラグビーをしてほしいと強く思っています。私自身は、ラグビーを通した経験や仲間づくりを経営に活かし、これからの企業づくりに励んでいきたいと思っております。

~ 広報委員からのひと言 ~

ラグビーといえば懐かしい1984年放送のテレビドラマ「スクール☆ウォーズ~泣き虫先生の7年戦争」を思い出します。コーチの泣き虫先生は山下真司さん。109対0という悲惨な敗退から「打倒相模一高」を合言葉に、日々練習を重ねる川浜高校ラグビー部。ついにわずか7年で全国優勝を果たすという実話に基づいたストーリーにこちらも泣きました。(編集西岡)

vol.51

大阪地域自慢

vol.51 風情漂う居住地、帝塚山
~レトロモダンな散歩道ご紹介~

大阪南東ブロック・阿倍野・住吉支部 アージャック 荒田 としたか

実は私生まれも育ちも阿倍野区なのですが、学生のときに住吉区に住んでいたのです。住吉大社の真横でちん電沿いのアパートでした。電車が通るとTV画面にノイズが入る状態だったのですが、デジタル化になってそれは解消されているのでしょうか。

住吉区は巨大な行政区で1943年(昭和18年)4月1日、15区制から22区制へと細分化された時に東住吉区と阿倍野区が分離されまれました。

阿倍野から住吉にかけて帝塚山があり、帝塚山古墳の地域となります。旧家のお屋敷の名残がその道に残っていて、かつてご婦人たちは今でいうドライブのように人力車に揺られてこの地域の風情を楽しんだそうです。まだまだ古風な家は残っているものの、大きな家の先輩たちは相続できず、その跡にマンションが建って景観は変わってきています。

曲がりくねった道からレトロモダンな町並みがいい散歩道となっています。レトロな日本建築と古墳が探索できます。立ち並ぶ民家の中には看板も上げていない古民家の隠れ家レストランやカフェが、お忍びで営業していると聞いています。

~ 広報委員からのひと言 ~

帝塚山といえば、矢絣の着物に袴、ブーツをはいたハイカラさんが行く大正ロマンの街。そこを通るはいずれのお屋敷のお嬢様か、そんなイメージがわいてきますが、いかがでしょう。しかし奈良市にも同じ帝塚山という地名があります。そしてこちらも有名な学び舎が。その名の通り帝の墳墓が築かれた由緒ある街なのですね。(編集西岡)

vol.50

大阪地域自慢

vol.50 フットワークが軽くなる!「足の神様」は菅原道真公が由来だった
~服部天神宮で健脚祈願を~

大阪北ブロック 北第一支部(株)エガオール 土本 晶子

豊中市のほぼ真ん中に位置する服部天神宮は阪急梅田駅から10分。服部天神駅の改札を出て参道を進み、鳥居をくぐるとたくさんの健脚祈願ののぼりと菅原道真公の銅像が目に入ります。よく見ると道真公の膝はツルツル。参拝者の多くは願いごとを唱えながら左右の膝を念入りに撫でています。

ここ服部天神宮は、菅原道真公が九州の太宰府に左遷される途中に立ち寄った場所です。脚気により歩けなくなった道真公は、薬の神様である少彦名命(すくなびこなのみこと)を祀っていたこの地の天神祠で病気平癒を祈願されました。その後、痛みが治まり、大宰府まで歩くことができたといわれています。その由来から、道真公を足のケガや病気を治す「足の神様」として参拝者が絶えない神社となりました。サッカーJリーグのガンバ大阪の選手も祈願に訪れているそうです。

境内には末社の「豊中えびす神社」があり、1月の十日えびすには多くの人で賑わいます。私たち中小企業の経営者は何よりも体が資本。第二の心臓といわれている足をいつまでも健康に保つためにぜひ一度訪れてみてください。

~ 広報委員からのひと言 ~

天神さんは学問の神様と思いきや、服部天神は「足の神様」でもあったとか。苦しきときの神頼みなんて言いますが、日本人の心の奥底に、すがりたい、助けてもらいたいという気持ちがあって、人は自然に手を合わせお参りに励みます。それにしても八百万の神、学業成就、無病息災、商売繁盛、交通安全とお守りの神頼みは10通りも20通りもあるみたいですね。(編集 西岡)