大阪地域自慢 わが街探訪

『大阪地域自慢』は、月刊誌「OSAKA 中小企業家」に掲載しています人気コーナーです。大阪の北から南へ、西から東へ、ぶらりと旅をすれば必ずやその地の自慢があります。大阪に長年住んでいながら知らなかったことや、知っていたことも更に詳しく、各支部からご紹介していただき、大阪の通になりましょう。きっとその土地へ行ってみたくなるはずです。 過去のバックナンバーはこのページの一番下に掲載しています。

vol.96

大阪地域自慢

産業教育機関の集積で、子育て世代も増加中
「トカイナカ」和泉市コワーキングスペース〜

( 株 ) パール 安田 勝也
(大阪南ブロック/かんくう支部)

泉州和泉市は古くは繊維業の町として知られ、1994年和泉中央駅の開業後、多くの子育て世代が都心から「移住」してきた歴史があります。数年前より「コストコ」や「ららぽーと和泉」といった大型商業施設の誘致が進み、小中一貫校の整備や工業団地のテクノステージなど大阪府内でも数少ない人口増加都市のひとつです。そんな和泉市に2022年新たな注目スポットが生まれました。コワーキング&シェアオフィスLiveCoals(ライブコールズ)です。コワーキングスペースとは個人事業主や小規模事業者から副業、テレワーク就業者、学生まで多様な背景を持つ方が利用する「共同オフィス」のような施設を指します。働き方改革により副業や個人起業される方の増加、コロナ禍でのテレワーク増加により、今注目される業態の一つです。自分で一から事務所を借りるのはハードルが高い。そんな方にとってコワーキングスペースなら電気・ネット環境なども最初から整っているのでスモールスタートで始めやすいのが最大のメリットです。LiveCoalsは壁一面に描かれた大きな壁画が特徴的で、落ち着いたBGMも流れて、作業に集中しやすい環境が整っています。ウォーターサーバーやおいしいドリップコーヒー、お菓子も無料なのがうれしいですね。カフェなどではやりにくいWEB会議用のブースがあるのもおすすめです。定期的に開催されるトークイベント「焚べる会」では、わたくし安田も登壇させていただいたことがあります。地域で挑戦している方をピックアップして、思いを町の方に知ってもらう。そして参加者の方にもある「挑戦したい!」という思いの火種を灯していこうというオーナーの願いが込められているそうです。そうそう。LiveCoalsという店名は英語で「火種」という意味だそうです。筋金入りですね。



~ 広報委員からのひと言 ~

パソコンとインターネットがあればどこででも仕事ができると、コロナ禍ではリモートワークが平常になっている会社もあります。ちょっと前まで出勤しない家での労働は内職といって賃金も安かったのですが、今リモートワークは正社員給料で当たり前。会社の経費節約にもなっている?「トカイナカ」はそんな分断が寂しいときのよりどころになってくれるかも。いっそイジューしてもいいかも。(編集西岡)

vol.95

大阪地域自慢

今も健在、千林は大阪三大商店街
〜買い物、外食に出かけた懐かしさ〜

( 有 ) 蔵所写真工芸 藏所 拓二
(大阪東ブロック/しろきた支部)

今回私がご紹介するのは「千林商店街」。京阪千林駅から国道1号線までの約660mと、それにタコ足的につながるいくつかの商店街が一体となって、多くの人でにぎわっています。私にとっては母親に連れられて商店街や隣接するダイエーに買い物に行ったり、家族で夕食に出かけたりするのは小学生の頃の日常でした。ダイエーといえば千林駅前に第1号店があったことでも知られています。(私が行っていたのは、近隣に移ったあとのことですが)ローカル色豊かでほぼ地元民のみが行き交う商店街なのですが、なぜか大阪三大商店街にも数えられている大阪でも有数の商店街です。



今ではコンビニやチェーン店の居酒屋、携帯ショップといった新しい店も多くなりましたが、昔ながらの衣料品店や和菓子屋、昆布屋といった店もたくさん残っていて、新旧入り混じってなかなかのシュール感を醸し出しています。かの有名なデューク・エイセスが歌う商店街のテーマソングもしょっちゅう流れていて「一十百千、千林、てんてんせんばやーししょうてんがーい」のフレーズは地元民にとっては耳にタコです。日本全国、場末の商店街が寂れて久しいですが、なぜか今でも活気のある千林商店街。ぜひ一度足を運んでみてください。


~ 広報委員からのひと言 ~

各地の商店街が、シャッター通りなどと呼ばれて久しいわけですが、その原因の多くは大型スーパーマーケット、量販店にお客の流れを奪われて、じり貧となっていった、そんな経過があります。そのスーパーも過当競争に追い立てられ、超大型スーパーに飲み込まれていく、ビジネスの厳しさを目の当たりにします。ノスタルジックな千林商店街は健在。筆者の思いが伝わってきます。(編集西岡)

vol.94

大阪地域自慢

いにしえの奈良に通ずる交通の要衝、東大阪
~エキスポ70で開発された内環外環が走る~

中河内ブロック/東大阪第三支部
(株)ベレーザコーポレーション 入江 孝吏

東大阪市といえば町工場やラグビーをイメージする方が多いかと思いますが、YouTubeで紹介されるぐらいマニアにとっては垂涎もの、興味ない人にはどうでもいい「道路」がいくつかあります。今回は、そんなすごい場所を中河内ブロック情報化・広報委員のメンバーで訪ねてみたいと思います。※ここで紹介する内容には諸説ありますことをご理解ください。

大阪府道2号大阪中央環状線

大阪府堺市から池田市にいたる主要地方道で「中環」という名前で知られております。1970年開催の大阪万博にあわせて整備され、大阪内環状線、大阪外環状線と共に半環状を形成しております。東大阪市を通る区間ですが、交通量は非常に多く日本で5位だそうです。車線数も上下合わせて18車線の場所があります。また、モノレールの用地も確保されているために道幅が非常に広く、金物団地付近の道幅が122mもあり、日本で一番道幅の広い場所といわれております。実際に尋ねてみましたが、普段から見慣れているせいか「ふ~ん」な感じでした。残念ながら、地元ではほとんど知られておりません。


中央環状線東大阪市金物団地付近

国道170号大阪外環状線

大阪府高槻市から泉佐野市にいたる一般国道で「外環」という名前で知られております。この国道は現在も存在する「東高野街道」に沿って1963年に整備が始まりました。その後、同じく大阪万博にあわせてバイパス道路が形成され、外環状の一部を構成しております。バイパス以前の旧道もそのまま国道指定されたままで、この付近では東西2本の170号が存在しております。ところで、国道というと立派な道路をイメージしがちですが、中には「落ちたら死ぬ」とか「車両離合困難」などの道があり、マニアの間では「酷道」と皮肉られております。そんな酷道の一つが東大阪市の170号線(旧道)にある「アーケード国道」です。日本では東大阪市と長崎市(国道324号)にしかありません。日中は人通りで混雑しているため、午前7時から午後8時まで自動車通行止めになっております。


東大阪市アーケード国道

国道308号暗越奈良街道

暗越奈良街道は、奈良時代に難波津と平城京を最短距離で結ぶ道として設置され、奈良街道、伊勢参宮街道の一つです。外国使節がこの道を通って平城京と行き来するなど、当時の政治や文化を支えてきたとされております。江戸時代には松尾芭蕉が最後の旅路でこの道を通っており「菊の香にくらがり登る節句かな」の句を詠んでおります。現在も当時のまま残っている区間があり、私の事務所の前をかつて松尾芭蕉が通ったと思うと感慨深いものがあります。


暗峠の石畳

この街道の東大阪市の生駒山のふもとから奈良市内までは国道308号に指定されておりますが、生駒山を最短で上る旧街道ですから、急坂すぎ、道幅狭すぎなどで全国的にもトップクラスの酷道っぷりを発揮しております。その中でも、最大傾斜度37%(100m進むと37m高くなる)は日本一の急坂国道といわれており、電動自転車メーカーの宣伝で使われているぐらいです。また、頂上の暗峠(くらがりとうげ)付近は江戸時代に敷設された石畳になっており、日本で唯一の「石畳国道」といわれております。私は以前、車やバイクで何度か通ったことがありましたが、今回初めて歩いてみて、乗り物では分からない、いにしえの姿を感じ取ることができました。芭蕉の句碑も二つあって、その経緯も面白かったです。


松尾芭蕉句碑(二つあるうちの古い方)

東大阪市の道、いかがでしたか?マニアック過ぎですか?まあ、一度行ってみてください。興味を持つこと間違いありません。ちなみに、暗峠は車やバイクで通行はできますが、全くお勧めはできません。車は対向車が来ると大変なことになるし、バイクだとこけますよ。


~ 広報委員からのひと言 ~

東に連なる生駒連峰を越える暗峠のトレッキング。今回の地域自慢は中河内ブロック広報委員会メンバーで現地調査をしていただきました。感激です。暗峠は商人たちが荷物を肩に担いで徒歩で通った道、バイクもこけると聞くとこれはもう山登りですね。面白いところをご紹介いただきました。ブロックごとに地域自慢を語っていただきますコラムです。今年もますますのご繁盛を。(編集西岡)

vol.93

大阪地域自慢

昔々、天下茶屋に名水のほまれ高い泉があった!!
~太閤秀吉、千利休ゆかりの地~

大阪南東ブロック/ 西成・住之江支部
(株)快速堂 渡邊 浩子

関空と難波をつなぐラピートも停まる南海電鉄「天下茶屋」駅。地下鉄堺筋線の始発駅でもあることから、駅周辺にはスーパー他飲食店などが建ち並び人の往来も多い町である。この「天下茶屋」という地名の由来について、改めて調べてみた。
千利休の師である武野紹鷗が「天神の森」と呼ばれる鬱蒼とした森の土地に湧く水の良さに着目して茶室を建て、森を切り開いて道をつけた。以来、この地は「紹鷗の森」とも呼ばれるようになった。
天正年間には、初代芽木小兵衛光立がこの森の西側を開拓し、ここに茶屋を出した。豊臣秀吉が、堺政所や住吉大社への道中でこの茶屋に立ち寄り、千利休に茶を点てさせた。その茶が非常に美味だったことから、太閤殿下の茶屋「殿下茶屋」がなまり、天下茶屋(てんがちゃや)となったという。この茶屋には名水のほまれ高い泉があり、秀吉はこれに「恵の水」と名づけた。その跡はその茶屋をやっていた芽木(めぎ)家とともに邸内に保存されていたが、戦災で焼失したため残ってはいない。
現在は「天下茶屋跡」として岸里東二丁目に史跡が残っている。


~ 広報委員からのひと言 ~

天下統一をめざした太閤秀吉は、信長より伝授された茶の湯を殊の外好まれたとか。文化芸術を志向するゆとりが、このころにはできたとみなされます。しかしこの後、わび、さびをめぐり利休との主意の違いはとんでもない争いとなり、とうとう利休は秀吉の刃にかかります。黄金の茶室は、はかなくも大坂夏の陣で消え去ったのでしょうか。(編集西岡)

vol.92

大阪地域自慢

大阪市立修道館は今も大阪城の傍らに
~幼き日の郷愁を誘う剣道の思い出~

大阪北ブロック/北第二支部
日光護謨工業(株)岡坂 哲夫

しんと張り詰めた空気と木の匂い。そこに響く掛け声や踏み込みの音。道場という場には独特の雰囲気があります。大阪市立修道館はそんな道場の一つです。大阪城公園内、大阪城の南側に位置する修道館は、開館から60年以上にわたって、柔道・剣道・なぎなたなどの武道の普及や、武道を通じた青少年の育成を目的として運営されています。30年以上前の話になりますが、私も小学生のころに修道館で剣道を習っていました。稽古は楽しいことばかりではなく、行きたくないと駄々をこねたこともありました。そんな中でも、学校の体育館とも違う道場の空気には、子どもながらに特別な魅力を感じていました。学校生活とは異なる人たちと、異なる活動をするという体験に、道場という場も一役買っており、良い刺激になっていたように思います。今になってみると、城を横目に剣道の稽古に向かうというのも、なかなか貴重な経験でした。子どものころに通っていた道場が、数十年経っても営みを続けてくれていることは励みにもなっています。大阪城へ行くことがあれば、その傍らにある修道館にも目を向けていただくというのも面白いかもしれません。


~ 広報委員からのひと言 ~

日本武道のメッカとして大阪市立修道館は60年前に開設された会館です。技術の鍛錬のため、より高度な練習をしたいと思った時には誰でも予約なしで利用できるそうで、なんと大阪の観光名所にも紹介されているのです。一方東京にも東京都の所轄で東京修道館というのがありまして23年前に開設されています。腕に自信のある方は仕事や観光の途中で「たのもう!」とお訪ねになったらいかがでしょう。(編集西岡)

vol.91

大阪地域自慢

市民の心と体を癒してくれる都心のオアシス
~靭公園ヒーリングスポット~

大阪中央ブロック/中央北支部
(株)トレンズ・ブレーン 沢田 史子

広さは東京ドームおよそ2個分の9.7ha、緑豊かな靱公園は都会の真ん中にある市民のオアシス。平日でも人出は絶えませんが、休日ともなれば家族連れが押し寄せ、芝生の緑が色とりどりの小型のテントで覆い尽くされそうな勢いです。さて、そもそもこの「靱」の名前はどこからきたのでしょう。実は豊臣時代の故事が残されています。当時、現・中央区伏見町あたりに海産物市場があり、魚売りの商人が「安いよ~、安いよ~」と魚を売り歩いていたのを、市中巡視中の豊臣秀吉が聞いて「やす(矢巣)とは靭(矢を入れる道具)か」と言ったところから「靭町」と名付けられたという説もあるとか。江戸時代には、現在の地に「靭」の名前ごと海産物市場を移転したようです。昭和20年の空襲では一面の焼け野原になってしまい、終戦後は進駐軍の飛行場になります。なるほど、飛行場にしても十分な長さがあります。飛行場建設の際、楠永神社に大きなクスノキがあったので伐採しようとしたのですが、建築作業中にけが人が相次ぎ、おはらいをしようとすると神社から蛇が出てきました。それで「この木は神木だから切らない」ということになったそうです。私も、仕事に疲れた時、息抜きしたいなあと思った時、緑が恋しくなった時、靭公園に元気をチャージしてもらっています。近くにあっていつでも行けて、お金もかからず効果抜群、とても重宝している私のヒーリングスポットです。


~ 広報委員からのひと言 ~

街中の公園としては信じられない広さです。この狭い大阪にそんな場所があるとは、ご近所の方うらやましいですよ。大人の遊びはパチンコ、飲み屋。子どもの遊びはUSJ。しっかりお金を使わせるのが街中という認識でしたが、ここは自然が主役です。緑の中テントを広げるのもOK。手作り弁当でも持ってきて、家族でくつろいだら、これまでの忙しすぎる日本人のやすらぎが見つけられるかも。リモートワークの手を止めてね。(編集西岡)

vol.90

大阪地域自慢

カレーを食べる、堺でTaberoux(タベルー)
~おすすめは「チーズメンチカツカレー」~

大阪南ブロック/さかい浜支部
(株)みやあじよ 丸山 有仁

堺と聞いて、皆さんはまず何を思い浮かべるでしょうか。そう、カレーです。堺の街は「食」と深いつながりを持っています。堺の素晴らしい歴史や文化の紹介は他の方にお願いし、私が個人的に応援したいお店をぜひ紹介させてください。目印は「とんかつカレー」堺東のカレー専門店Taberoux(タベルー)です。堺で最も人が集まる、堺地方合同庁舎の裏手にひっそりとたたずむ建物。入り口に掲げられた「とんかつカレー」の赤いテント看板が、シンプルなデザインながら食欲をそそります。店内はカウンターとミニテーブルの落ち着いた雰囲気。カレーとトッピングのみのシンプル・イズ・ザ・ベストなメニューです。おすすめは「チーズメンチカツカレー」。カウンター越しに聞こえるカツの揚がる音や寸胴鍋をかき混ぜたときのスパイスの香り。そんなライブ感が「今日の昼飯、タベルーで正解だったな」という気持ちにさせてくれて、食べるまでの期待感が高まっていきます。炊きたての白米に甘辛くコクのあるルーをたっぷりとかけ、メンチカツとチーズをのせる、旨味しかない組み合わせ!堺東に訪れた際はぜひおすすめですが、大変な人気のため売り切れにはご注意を。


筆者おすすめの
チーズメンチカレーにほうれん草トッピング

~ 広報委員からのひと言 ~

何といっても面白いのはお店の名前。Taberoux(タベルー)、食べるにカレーのルウをかけていますね。とてもストレートでこんなの大好きです。「とんかつカレー」ならイートンはいかがでしょう。これは余計なお世話と言われそうですか。筆者のお仕事はECサイトやコーポレートサイトのホームページ制作だそうです。おすすめカレーの紹介が実にリアルでこちらに香りまで届きそう。堺へ食べに行きたくなります。(編集西岡)

vol.89

大阪地域自慢

香里園の成田山不動尊
〜日本で初めて人車一体の交通安全祈祷〜

大阪東ブロック/ひらねか支部
(有)サイバークラフト 尾崎 教仁

私は寝屋川市に会社も自宅もあり、最寄りの駅は京阪本線香里園です。関西では「京阪乗る人おけいはん」のコマーシャルでおなじみの京阪電車です。大阪市内に仕事に行く通勤圏内の住宅地といった所で、居酒屋、スナック街が多く、私もお世話になっています。なぜ「香里園(こおりえん)」と呼ばれているのかといいますと、このあたりに昔の役所=「郡衙(ぐんが)」があったようです。「郡」は「こおり」ともいいます(今も寝屋川市郡元町などの地名が残っています)。宅地の開発にあたって「郡(こおり)」よりもイメージの良い「香里(こおり)」という字をあてたようです。有名なところでは「成田山不動尊」です。初詣、節分には参拝でにぎわいをみせています。千葉県成田市にある「成田山新勝寺」を大本山とした関西唯一の別院で、大阪府寝屋川市にある寺院です。日本で初めて人車一体の交通安全を祈念し、専用の祈祷殿を設けたことから「交通安全祈願の成田山」として知られています。開創以来、人々のさまざまな願いを真摯に受け入れ、ご祈祷を行っております。大本山成田山新勝寺の別院であることから、正式名称は「成田山大阪別院明王院」といい、関西地区で「成田山」といえば当別院のことを指す場合がほとんどです。「成田山不動尊」とは、不動明王を本尊としている当別院の通称で、大阪成田山不動尊と呼ばれ日本全国の方に親しんでいただいております。

~ 広報委員からのひと言 ~

交通安全のお守りは各所の神社で授けられますが、なんとここは人車一体のご祈祷を受けるとか。何台も待ち受けた車が順にバーが上がると祈祷所の前に進み、交通事故が無いようおはらいを受けます。新車を買ったらぜひとも受けたいと、正月ならずともにぎわっているそうです。ところで千葉県の大本山成田山では節分には横綱、大関の力士が豆まきを手伝いに来てニュースで紹介されます。こちらでは誰が来るのでしょうか。(編集西岡)

vol.88

大阪地域自慢

大阪の豪商、鴻池の新田開発会所
〜鴻池新田周辺の地域情報〜

中河内ブロック/東大阪第二支部
クリエイティブクリック 神田 功一

鴻池新田の周辺の地域には現在成和小学校という東大阪で一番のマンモス小学校があり、主に30代くらいの家族の方が多く住んでいらっしゃる地域で、子育てに最適な環境のある地域といえるでしょう。鴻池新田駅の周辺エリアには商店街があり、それなりににぎわいを見せています。また大きめの公園や、少し離れた場所では市営住宅、府営住宅があり、東大阪の北の拠点として人口密度の高い地域となっています。東大阪市役所までは自転車を使えば10分程度で行けることも魅力かもしれません。そんな鴻池新田ですが、歴史ある場所として重要文化財の一つである『鴻池新田会所』があります。『鴻池新田会所』は、江戸時代に豪商鴻池家が開発した新田の管理・運営を行った施設です。今でもにぎわいを見せており、日本のアニメを元にした、あの「るろうに剣心」の実写映画の撮影場所の一つにも選ばれました。その他にも、その歴史的建造物に価値を見出し、コスプレイヤーや、一般客の観光、写真撮影など、多くの人が訪れる場所となっています。また駅前や、そこから東に伸びる各商店街でも1年を通してさまざまなイベントが行われており、中でも鴻池ジャズフェスティバルは「プロ」を呼ぶクオリティーの高いジャズの祭典として認知され始めています。多くのにぎわいを見せる鴻池新田は、東大阪の大事な北の拠点です。学研都市線は放出、京橋から北新地と主要な駅まで1本で向かうことができ、ビジネスの展開から見てもアクセスのよい地域になります。「南に布施あれば、北に鴻池」と言われるぐらいに地域活性を維持したいと思います。

~ 広報委員からのひと言 ~

河内平野を大きくうねって北へ向かい流れていた大和川と、淀川の支流寝屋川が入り交じり、何度も洪水の大災害が起きた江戸時代。大和川は治水の付替工事で、今は石川と合流して堺へ流れます。河内平野は水利の良い穀倉地帯へと変身し開墾に携わった鴻池家は財を成しました。開墾地の村衆会所が今も文化財として残されているようです。(編集西岡)

vol.87

大阪地域自慢

ワインの産地と言えば?
〜特徴ある大阪産ワイン〜

大阪南東ブロック/平野支部
(株)Fine T&H 小西 真之

日本のワインというと、どこの地域を思い浮かべられますか?実は大阪は伝統あるワインの産地なのです。その歴史は安土桃山時代に始まり、江戸時代には農家の軒先でブドウが栽培されていました。1928年から10年間はブドウの栽培面積が日本一となり、最盛期にはワイナリー数も119軒を数えました。ブドウの生産量が減った今でも、大阪南部、柏原羽曳野地域は多くのブドウ畑があり、ワインが造られています。現在、大阪のワイナリーは8軒と最盛期に比べると少なくなっていますが、こだわりのある造り方をされています。ワイナリーの中には、ワインを造るだけでなく、自家農園で自然農法により育てたブドウのみを使い、大量生産ではなく、納得のいくものを手造りで、酵母は自然酵母のみを使い、ワイン造りをされているところもあります。大阪のワインは海外産と異なりデラウェアなどの食用品種を主体としており、凝縮された果実味を味わえるのが特徴です。そんな大阪産ワインを楽しめるお店が喜連や東住吉にはあります。ぜひ皆様も一度味わってみてください。

~ 広報委員からのひと言 ~

河内柏原、羽曳野辺りのブドウ畑は小さい粒のデラウェアが主流でしたが、今は黒い大きな粒、巨砲やベリーAも見かけられますね。それにしてもワイナリーがそれだけ減少したとは、産業として残念です。ブドウ狩りなど地産地消でその地のものを楽しむのも良いものです。キリスト教の伝来とともに堺から伝わりこの地に根付いたのでしょうか。(編集西岡)

vol.86

大阪地域自慢

蔵のある閑静な住宅街
〜いつまでも残したい 郷土の風景〜

大阪北ブロック/ 三島支部
ヘレンベルガー・ホーフ(株)
 山野 高広

私が住み、弊社もある大阪府茨木市の南西の端にある小さな町、蔵垣内(くらかきうち)のご紹介です。よく地域の自慢をしてくださいと言われますが、この小さな町、蔵垣内には神社やお寺があり、それ以外には特に「これ!」という名物はございません。ただ、それこそが非常に住みよい住環境をもたらしてくれているこの地の最大の良さではないかと思っています。古くは14世紀に建てられた三宅氏の平城、三宅城がありました。今は跡形もなく、蔵垣内町民の憩いの場、蔵垣内公園になっています。その公園の周辺の蔵垣内3丁目には古くからある家が多く「蔵」垣内の名前の通り、たくさんの古い土蔵が現存しています。下の写真、ちょっとした美観地区のようじゃありませんか?週末にここを家族で何気なく散歩するときにものすごく幸せを感じ温かい気持ちになります。いつまでも残したい閑静な住宅街、本当に住環境が完璧です。大都市大阪駅からわずか電車で15分。いつまでも残していきたい郷土の風景が広がっています。みなさんもぜひ一度訪れてみてください。

~ 広報委員からのひと言 ~

茨木は駅前を少し離れるとまだ田んぼや畑などが点在し、のんびりとした日本の原風景が街中にも広がっています。実は私も住民です。しかしながら買い物はいつも車。用事のないときは家を出ないなど、ぶらりと散歩をすることがないのです。家族との散歩でものすごく幸せを感じて温かくなる、いい人生送っていますね。(編集西岡)

vol.85

大阪地域自慢

「スパイスカレー」
もう食べてみましたか?
〜大阪発、全国ブームになっています!〜

大阪中央ブロック/ 西支部
IT 経営相談所 岡室 俊之

大阪の「食」というと何を思い浮かべますか?たこ焼き、お好み焼き、豚饅、フグなどいろいろあると思いますが、この数年は「スパイスカレー」が人気です。「なんだ、カレーか」と思われるかもしれませんが「スパイスカレー」は大阪ではやり、全国に広まっています。おいしいだけではなく、色鮮やかで映えることもあって大人気。今ではカレー屋のランキング本も毎年発売されています。大阪の西区(堀江・九条)も激戦区の一つで、すでに殿堂入りしたお店など人気店が多々あります。今回は北堀江にあるCurry&CafeWarung(ワルン)さんをご紹介します。昆布、いりこなどを使用した和ベースのスープと絶妙なバランスでスパイスを組み合わせたスパイスカレーです。カフェのようなおしゃれな空間のお店で店員さんの対応もとてもすてきです。ぜひ一度お試しください。他にも松島新地の真ん中にあるAsiankitchencafe百福(21年度究極のカレーAWARDアジアン部門グランプリ)はマスター自らアジア各地でカレーを修行。ロッダグループは、2019年の究極のカレーで殿堂入りしたお店でスリランカの方が作るギャミラサは絶品です。皆さんもお近くでスパイスカレーを楽しめるお店を見つけてみませんか?

~ 広報委員からのひと言 ~

カレーといえばお母さんの味。きっとどこの家でも今夜はカレーと聞くと「ヤッター」と子どもたちが喜んだことでしょう。家庭のカレーは小麦粉で少し増量したり、牛肉ではなくサバ缶だったり、戦後生まれの古い私はそんなことを思い出します。西区はカレーの激戦区なのですね。カレーAWARD殿堂入りの店まで並ぶアジアンテイストの街、すてきです。(編集西岡)

vol.84

大阪地域自慢

古市古墳群と河内源氏発祥の地
〜羽曳野に思いをはせる〜

大阪南ブロック/ 河南支部
社会福祉法人ふたかみ福祉会 支援センターはる 石本 悦二

羽曳野市には、河内源氏発祥の地「壷井八幡宮」があります。河内源氏は「鎌倉幕府の創始者源頼朝が、八幡太郎源義家公の4代目の孫であり、室町将軍家・足利氏も義家公の流れであり、さらに徳川将軍家も義家公末孫を称した」といわれております(壷井八幡宮公式サイトより)。境内には、樹齢1000年になる天然記念物の楠がそびえています。アニメのトトロにも出てきそうな大きな楠です。「吹く風をなこその関と思へども道も狭きに散る山桜かな」源義家朝臣と称した歌碑も建てられています。
障害のある人たちが福祉的就労として働いている「はびきの園」、そして現在建設中のグループホームも壷井八幡宮の宮司さんに地鎮祭や棟上げ式をお願いしています。また、百舌鳥・古市古墳群は世界文化遺産に登録されています。私の職場のすぐそばには、応神(おうじん)天皇陵古墳や峯ヶ塚古墳、墓山古墳が見えます。応神天皇陵古墳外濠外堤では、春は菜の花、秋はコスモスが古墳の雄大さを感じさせながら華やかに咲いています。河内ぶどう(デラウェア種)やイチジクは自慢の特産品です。その特産品を生かしたちょっと珍しいジャムも上品な甘さで人気の商品です。イチジクジャム、デラウェアのぶどうジャムは「はびきの園」で製造・販売しております。

~ 広報委員からのひと言 ~

2019年7月、百舌鳥・古市古墳群が世界遺産に登録されたのはみなさまの記憶に新しいところでしょう。200を超える墳墓が街並みに点在します。時代は下り、河内の国を発祥とした河内源氏こそ、清和源氏の本流であり、後に源平合戦に勝利し鎌倉幕府を立ち上げた源頼朝を輩出するという、悠久の歴史が流れる羽曳野、魅力的ですね。(編集西岡)

vol.83

大阪地域自慢

2021年、 国史跡指定された飯盛城跡
〜第2弾、飯盛城跡のご紹介〜

大阪東ブロック / 大東四條畷支部(株)山田製作所 山田 雅之

飯盛城のことは2015年11月に三好長慶を取り上げたときに少し書きましたが、昨年に国史跡指定を受けたので、改めて紹介します。飯盛城跡は標高314mの飯盛山の山頂にあり、大東市と四條畷市にまたがる山城跡です。南北約700m・東西約400mと、山城としては近畿地方最大級の規模を誇ります。飯盛城の築城は1334年から1338年と伝えられています。南北朝時代の四條畷の戦いで、南朝方の恩地氏が立てこもるのですが、その時はまだ臨戦的陣城でした。戦国時代に畠山義堯が家臣の木沢長政に命じ、飯盛山に城郭を構えたことで恒久的な居城になりました。
その後、太平寺の戦いで木沢長政を討ち取った三好長慶が飯盛城を居城と定め大規模な改修作業を行い、それが現在の城郭になったといわれています。大東市と四條畷市が平成28年度より共同で調査を実施した結果、城郭史上の画期に位置づけられる貴重な遺跡であることが判明しました。両市は令和2年度、国に対して国史跡指定について意見具申を行い、令和3年に『飯盛城跡』が国史跡に指定されました。飯盛城跡への行き方はJR学研都市線野崎駅から徒歩約90分、四条畷駅(駅名は四条畷)から徒歩約100分のハイキングコースを利用します。ぜひお越しください。

~ 広報委員からのひと言 ~

大阪平野の東に生駒山脈と金剛葛城山脈が連なっています。一番北が飯盛山、続いて生駒山、南へ信貴山。この山並みが河内と奈良を隔ててきました。続く大和川を挟んで南には二上山、金剛山、葛城山が連なり、南朝哀史吉野から宇陀への道、大峰から熊野への交通の要衝となり、幾度もの戦火を物語ってきました。今は昔です。(編集西岡)

vol.82

大阪地域自慢

ラグビー本拠地の サッカーファン
~私のまち自慢~

中河内ブロック/ 東大阪第一支部 (株)天昭堂 田中 成実

「東大阪市における地域振興とラグビーをはじめとするスポーツ振興の取り組みを推進し、社会の成長と発展の原動力となるように努力を致す」―F.C.大阪のホームタウンへの思い(公式)です。そもそもサッカーにはワールドカップの生中継しか興味がなく、Jリーグブームにも懐疑的だった私ですが、結婚、子どもの誕生を経て、当時記録破りの不振に苦しむ京都初のJクラブを下支えするかたちで、その日常を楽しむようになりました。その後のリーグの成功で全国にクラブが生まれ、大阪に三番手としてF.C.大阪が名乗りを上げました。しかしJFL(4部相当)として4年目の2018年シーズンはホームゲームを合計8施設でやる事態に。長居や堺はまだしも、兵庫県三木市、和歌山市、紀の川市、京都府園部市でホームゲーム?これが私の興味を引きました。ただJFL7年目の今季の主催試合の半分は服部緑地(豊中市)での開催、来季J3に昇格できなかったのでメインスタジアムを使用できるめどはなしです。昇格降格があるサッカーだからこそ、応援するクラブチームは替えません。ラグビーのまちにも、サッカーがある日常を。仕事のあとひょいと自転車で地元クラブの練習見学や試合の応援に出かけるという私の夢が、遠からずかないますように。

~ 広報委員からのひと言 ~

スポーツの世界はよくわからないのですが、メジャーなところを応援すると「勝った、勝った3連続!」とか、気分のいい日が続きますね。しかし不振に苦しむチームを心から永く支えるのは辛抱強さと真の愛。今年は残念でしたがまた来年に託す期待もできますね。どうぞラグビーに負けずサッカーの舞台を東大阪に。(編集西岡)

vol.81

大阪地域自慢

地元民が一度は行ったことがある
~阿倍野区桃ヶ池町にある「 桃ヶ池公園」~

大阪南東ブロック/ 阿倍野・住吉支部 相生(株) 向井 玄人

地下鉄昭和町駅から徒歩6分のところにあり、公園の面積のみで71.448㎡、さらに大きな池がある公園です。ご紹介するには少し地味な場所かもしれませんが、地元民に愛される場所です。春にはハナモモや桜が美しく、たくさんの人でにぎわいます。春以外にも紫陽花や紅葉など、季節を感じられる公園です。また、大きな池もあり、そこではカモなどの野鳥を見ることもできます。「公園」という場所は、子どものころは遊具や広場で遊び、大人になるとパパママとして子どもを連れて遊びに来る、これこそが公園の良さだと思います。また、桃ヶ池公園は子ども連れのみではなく、一人でゆっくりできる場所もあります。誰しもが少なからず生き急いでいる時もあります。余裕がない時こそ、公園でほっと一息つくことも大事だと思います。今年も自粛生活だったため、お子様と公園などの外で遊んだり、ランニングを始めたりする方も多かったと思います。ようやく緊急事態宣言も解除され、少しずつ元の生活に戻りつつあります。そのため、旅行に行きたい場所も多くあります。しかし、この身近な桃ヶ池公園にも、一息つくために、たまには立ち寄りたいと思います。

~ 広報委員からのひと言 ~

コロナ禍ではどこへ行くのも息苦しく、出かけちゃ悪いみたいな罪悪感がありませんでしたか?そこへいくと広い公園はしっかりソーシャルディスタンスが取れて、心晴々歩けます。繁華街も懐かしいけど、こんなところで一人歩きの瞑想はいいですね。おっと、はや12月です。今年の忘年会はにぎやかにお許しが出るのでしょうか。(編集 西岡)

vol.80

大阪地域自慢

吹田・浜屋敷で伝統芸術を継承
~江戸の庄屋屋敷が、能狂言の根拠地に~

大阪北ブロック/ 吹田支部 cocoa 香りすと 大形 智美

「吹田歴史文化まちづくりセンター」は、所在地である吹田市南高浜町の地名を取り入れ、通称「浜屋敷」の名称で親しまれています。美しい白壁に囲まれた浜屋敷は、主屋、蔵、だんじり展示庫などからなり、主屋にはへっつい(かまど)のある土間や、座敷、板敷の台所などがあり、江戸時代末期の旧庄屋屋敷の雰囲気が感じられます。主屋の和室や、ギャラリー兼音楽室は貸室で一般利用することができ、貸室利用時はWi-Fiも使うことができます。歴史と文化のまちづくりに関わる文化活動や、交流の場とすることを目的に、さまざまな文化事業も開催しています。私は、浜屋敷の理事に就任して3年目となります。主に、能や狂言などの伝統芸能事業などを担当しています。事業を担当することによって、伝統芸能の世界を知り、未知の分野での知識の世界が広がっていくこと、そしてご縁をいただけることは、かけがえのないことと思っています。また、事業の参加者の笑顔や、嬉しいご感想をいただくことは私の喜びです。浜屋敷は、多くのボランティアの方々や、会員の皆様に支えられています。会員になるとイベント割引(一部例外あり)などの特典があります。風情ある浜屋敷へのご来館を、お待ちしております。

~ 広報委員からのひと言 ~

淀川の北に流れる安威川と神崎川が合流して西へ向かうところ、吹田浜は有数の穀倉地帯でした。川向こうには上新庄、下新庄と米にまつわる地名が残ります。吹田浜に建つ浜屋敷は歴史遺産として保存されていましたが、改装されて随分きれいになりましたね。能、狂言など伝統芸術がとても近くにふれあえる場所へ行ってみましょう。(編集 西岡)

PAGE TOP