大阪地域自慢 わが街探訪

『大阪地域自慢』は、月刊誌「OSAKA 中小企業家」に掲載しています人気コーナーです。大阪の北から南へ、西から東へ、ぶらりと旅をすれば必ずやその地の自慢があります。大阪に長年住んでいながら知らなかったことや、知っていたことも更に詳しく、各支部からご紹介していただき、大阪の通になりましょう。きっとその土地へ行ってみたくなるはずです。 過去のバックナンバーはこのページの一番下にPDFにて掲載しています。

vol.63

大阪地域自慢

地域コミュニティーの力
〜コロナパンデミック最前線〜

大阪南東ブロック・東住吉支部 うめだ印刷(株) 藤本 潤

東住吉区に「じょいなす☆なっぴー」という地域コミュニティーがあります。地域の企業、住民、団体、学校、病院、役所などの任意のメンバーが集まり、清掃ボランティア、地域イベントや地域ネットワークなど地域にかかわるさまざまなことを行っています。同友会会員企業もたくさん参加されています。


最近では、新型コロナウイルスのパンデミックで、緊急事態宣言により不要不急の外出自粛など対策で疲弊している方々や、最前線で頑張っておられる医療関係者の方々に、みんなで動画を作成して発信しました。


いろいろなところやメディアでこの動画を発信しています。YouTubeで発信していますので、ぜひ見てください。また、英語のテロップもつけ世界に向けて発信もしようとしています。全世界で頑張っている方々、一緒にこの難局を乗り越えていきましょう。



https://youtu.be/JWJxQmmX0BM

~ 広報委員からのひと言 ~

IT革命と言われて久しいですが、中小企業や高年齢層はなかなかついていけないと思っていました。しかし新型コロナウイルス感染拡大による外出の自粛要請や店舗の閉鎖などに及んで、ITの力が絶大であることを思い知りました。こうした地域の連帯が、コロナ克服のキーワードかもしれません。(編集西岡)

vol.62

大阪地域自慢

人情が繁盛する街
〜創造の時間を過ごす〜

大阪北ブロック・阪神支部(株)AURA  松永 巳知子

2006年9月15日に戦後初の定席※が開設される、と言ってもわかる方は少ないですね。私は30歳で出会ってから、短い時間の中で描き出される「庶民のハナシ」が大好きになりました。と言えばもうお分かりでしょうか?そうです!「落語」です。渋さを好む「江戸落語」と違って「上方落語」には「はめもの」といって口演中にお三味線や太鼓の演出が入る演目があり、その場が一気にお座敷の宴会場になります。落語にはたいてい「下げ」(落ち)があって、何十回も聞いている噺(はなし)では、いわゆる結末はすでに知っているのに、何度でも聞けるのはまさに演者の「力量」と考えます。


聞いた話では噺家(はなしか)さんは、当日の客層をみて演目を決めるのだそうで、それは持ちネタもかなり持っていないとできないことです。まさにお客様との真剣勝負。しかも持ち時間に合わせて話す技も持ち合わせていて、同じネタでも微調整し、最後はきっちりと下げにいきます。


「天満天神繁盛亭」は、朝10時から21時まで「朝席」「昼席」「夜席」と日替わり、週替わりで若手からベテランまで登場します。贔屓(ひいき)の噺家さんを見つけたらもっと楽しくなります。噺家さんごとに個性のある「出囃子(でばやし)」も上方落語ならでは。大人でないと味わえない「創造の時間」をゆっくりと楽しんでください。※定席:常設の寄席(よせ)

~ 広報委員からのひと言 ~

お誘いを受けて一度だけ「天満天神繁盛亭」へ落語を聞きに行きました。あそこは聞くだけでなく、見るほうも見ごたえがありますね。そのときの寄席の合間にはさんだ芸が、和傘の上の手まり回し、こま回し、皿回し。果てはうら若き女性が逆さに足を張り上げ畳を回す芸もありました。伝統の上方落語の火をともし、繁盛してほしいですね。(編集 西岡)

vol.61

大阪地域自慢

江戸文化の集積地
〜廓に花咲いた「ここが最初」の数々〜

大阪中央ブロック・中央南支部 エス・ケー・データ(株) 北川 眞里

江戸時代に発行された摂津国の地誌「摂津名所図会」に「田圃を闢きて新に町とせしゆゑ、世の人新町とよんだ」と記されている西区新町。
今はない西横堀川西側の湿地3万坪を埋め立て、四方を低い塀で囲み、出入口をこの川に架かる新町橋だけとする、大坂唯一の江戸幕府公許の花街が開かれました。 この新町廓に京都島原の置屋「扇屋」が夕霧太夫を連れて移ってきたとき、大坂の男女は大騒ぎ。鈴なりになって見物したそうな。


新町は数々の文化の発祥の地です。有数の置屋だった「扇屋」からは、のちに上方歌舞伎を代表する名優、初代中村鴈次郎が生まれます。明治後半には、角藤定憲らにより新演劇集団がこの地で旗揚げ。「旧派」歌舞伎に対して「新派」を唱え、改良演劇として自由民権運動の政治批判の壮士芝居を演じました。時代はさかのぼり、秀吉が大坂城を築城した折、大坂各地に資材置き場が設けられましたが、新町には砂類の蓄積場がありました。工事関係者が多く集まり、そこで麺類を提供する店が開業されました。日本三大そばの一つ「砂場蕎麦」がそれ。日本最古のおそば屋さんです。マンションが林立する現在の町並みには当時の面影はまったくありませんが、碑に残されるこうした歴史をたどると新町は、その時代の有名人が足を運んだ、粋な文化の匂い立つ町であることがわかります。


~ 広報委員からのひと言 ~

なにわ八百八橋といわれた大坂は江戸時代に開かれた掘割の水運が発達し、東西南北どこへでも船便が行き交っておりました。その上にかけられた橋が八百八橋。一時は1,500を超えたといわれています。時代は下り、高速道路の建設や道路を広げる工事がすすみ多くの橋が消えて、旧跡が残るのみ。たった一つの出入口が恨めしい花街に思いをはせます。(編集 西岡)

vol.60

大阪地域自慢

神仏習合の面影残すお盆の祭り
〜町内で競い合う大太鼓が練り歩く〜

大阪南ブロック・さかい浜支部(株)千代田 芝田 拓也

大和川以南の南ブロック地域で自慢できるものと言えば、夏から秋にかけて各地域で行われる祭りでしょう。岸和田のだんじり祭りや百舌鳥八幡宮のふとん太鼓はたくさんの観光客が来るほど有名ですね。しかし私が生まれ育った堺市北区金岡町にも、素朴ながら地域に根付いた太鼓台が主役のお祭りがあります。


盆踊りなのでお祭りというのも妙ですが、神社で行われるなど昔の神仏習合の風習が残っています。木の枠に大太鼓を載せて、音頭を取りながらお神輿のように練り歩きます。一つの小学校区内に11台の太鼓台があり、町内会同士で競うようにして神社をめざします。ふとん太鼓のように豪華ではありませんが、それだけに昔の農村の素朴な姿を残していると思います。近年は人気が高まり、立派な祭りに進化しています。当日は、村のあちこちから音頭と太鼓の音が聞こえ、気持ちが浮き立ちます。主役はもちろん青年団。元来、力自慢の農家の若い衆の集う行事だったのでしょうが、現代のひ弱そうに見える若者の心にも響くものがあるのでしょうね。準備や後片付けに熱心に参加する若者が増え、地域の人たちと関わる良い機会になっています。今年は愛息も参加する予定で、今から楽しみにしています。


~ 広報委員からのひと言 ~

日本の祭りは寺にあり、神社にあり、全国津々浦々に、一体いかほどの祭りがあるのでしょうか。一時は後継者がいなくて廃れそうになった、といった事情が、有名な大きな祭りにもあった時代がありました。しかし近年はそんなところも復活し、以前に増して活発になっています。祭りは人々の心のよりどころ、平和の象徴なのです。(編集西岡)

vol.59

大阪地域自慢

鶴を見に来る人が多かった街
〜花と緑の豊かな自然を満喫〜

大阪東ブロック・しろきた支部 ヘキヨー(株)米川 心祐

6000年前この一帯は河内湾という海でした。鶴見区は河内湾海底の中央部に位置しています。やがて淀川が運んだ土砂により農作物がよく育つ平野が作られました。


鎌倉時代、源頼朝が富士の裾野から千羽の鶴を放したところ、この地に飛来し、その鶴を見物に来る人に因んで「鶴見」という呼び名ができました(伝説)。
時は流れて現代、1974年に城東区から分離され鶴見区が誕生します。鶴見区といえば、花博が開催された鶴見緑地が有名です。1963年から大阪市内から出る家 庭ごみと地下鉄建設時の残土を重ね、当時の高さ47mの鶴見新山ができました。そのころはごみから発生するガスで山の上の煙突から炎が上がっていたようです。その後1970年に緑地として造成が始まり整備がすすめられました。


そして1990年に国際花と緑の博覧会(花博)が開催され、2,312万7千人の来場者がありました。開催に合わせ地下鉄鶴見緑地線が開通しました。 現在、花博跡地は鶴見緑地として休日には多くの人々の憩いの場所としてにぎわっています。花と緑がおりなす豊かな自然を満喫できます。
比較的に新しい区ですが、歴史は古い鶴見区を散歩してはいかがですか。

~ 広報委員からのひと言 ~

1990年といえば日本は高度成長の最終段階。バブル経済を引き起こし、その後の崩壊を見るといった時代でありました。とにかく豊かな気持ちと日本人として誇りを持った時代だったかな、と思います。花博の行列に並んだ記憶も蘇ってきました。緑地公園となった後、再び訪れたのはサーカスの天幕が張られた時。街の中にある緑地は多目的です。(編集西岡)

vol.58

大阪地域自慢

地域一丸となる夏祭り
~お祭りを経営に生かす~

中河内ブロック・八尾支部 (株)ヤマヒデ ラポール壱番館 山田 剛史

日本には数多くのお祭りがありますが、1,000年以上続くお祭りはごくわずかです。例えば日本三大祭りの一つ「天神祭」は1,000年以上の長い歴史があるのは有名です。その天神祭に負けず劣らず1,000年以上続くお祭りが八尾市にもあるのです!それは毎年8月1日に開催される「恩智祭り(おんぢまつり)」です。地域の方々が全勢力を注ぐお祭りで地域雇用が多い弊社でもその日ばかりは休み希望者が続出です!


【見どころ① 宮出】
なんといってもまずは「宮出」。重さ2トン近くある布団太鼓を担いで131段ある急な階段を一気に町に向かって下ります。
【見どころ② 担ぎ合い】
日中に町中を駆け回り午後8時ごろから、布団太鼓の進路を神輿が阻む攻防「担ぎ合い」が繰り広げられます。
【見どころ③ 宮入】
そして下ってきた131段の階段を今度は逆に布団太鼓を担いで押し上る「宮入」。


開催までには団長を中心に計画、練習、確認、改善が繰り返し行われていると聞いています。その結果、お祭りが安全に開催され皆さんを感動させていることにつながっていると感じます。自身が経営者をめざすようになってからはこの恩智祭りには経営のヒントが隠されているのではと思うようになりました。団結力で会社を成長させスタッフと共に喜びを共有する。それを実践できれば100年、いや1,000年続く企業も夢ではないかもしれません。皆様もそんな恩智祭りにぜひ足を運んで実感してみてください。

~ 広報委員からのひと言 ~

神々がおわす日本はどこに行っても神事のお祭りがありますが、恩智祭り、こんなにすごいとは!地域の男衆がひとつの目的で体力を使い果たす、男気に何ともいえない信頼とつながりがうまれるのでしょうね。こんな祭りがあるからこそ八尾の地域が人情深い、まるでみんな兄弟のようにまとまります。経営にも通うものがありですか。(編集西岡)

vol.57

大阪地域自慢

自転車通勤から見える我が地域
~住工商混在の街に感謝~

大阪南東ブロック 西成・住之江支部 日生金属商事(株) 松浦 貴嗣

私は自宅が住之江区で、会社が西成区にあります。毎朝自転車で片道約15分の道のりを通勤しています。自宅を出て約2分で木津川を渡る橋を通る時には、都会ではあまり目にすることのない漁船が見えます。橋を通過すると景色は一変して大手運送業をはじめ、鉄筋やパイプなどを扱う企業が連なる地域になり、その後しばらく走ると病院やスーパーマーケットなどがある北加賀屋という大きな交差点を渡ります。すると私のなじみのお好み焼き屋、中華店、居酒屋などが軒を連ねるにぎやかな場所を通り過ぎて、住宅地を抜けると会社に到着します。住工商が混在する地域で通勤時間往復30分、近所にはおいしい飲食店や温泉などがある地域で過ごせる毎日に感謝しています。


週末に妻と散歩している新木津川大橋からの夜景は最高です。写真は昨年区役所主催の「地域ビジネスプランコンテスト」で受賞した時の写真です。このコンテストを機に地域の人たちの交流が増えてきて嬉しく思っています。


~ 広報委員からのひと言 ~

すがすがしい朝の空気の中を自転車通勤、大阪の産業が凝縮した道のりです。また、この地の夜景は工場見学と合わせた“夜景を楽しむツアー”にも道中、登場するとか。地域ビジネスコンテストで受賞、素晴らしいです。遠くにはUSJや、あべのハルカス、通天閣も見えるのかな。自宅と会社が近い、何よりの構図かもしれません。(編集西岡)

vol.56

大阪地域自慢

TEMMAをゆく
~難波八阪神社~

大阪北ブロック・阪神支部 (株)AURA 松永 巳知子

週末の18時にJR環状線「天満駅」にまずは降り立ってください。「今日ってお祭りがあるの?」とそこで待ち合わせる人たちに聞いてみたくなるでしょう。
駅のすぐそばには日本一長いといわれる「天神橋筋商店街」もありますが、めざすは商店街よりも東の地帯。中華、イタリアン、立ち飲み、焼き肉、お好み、居酒屋…どこも超満員。大きな声で話し、笑い、盛り上がっているので、「何時から飲んでいるんだろ」と不思議な空間がそこにあります。


天満の居酒屋に人は憩い

「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃなソンソン」とばかりに、ぎゅうぎゅうの空席に座り、「ほんまに生ビールか?」と思うビールを飲み、明らかに解凍しただけの枝豆をつまむと、いつの間にか知らない隣の人と話せてしまう。「どっから来たん?」「万博公園の近く」「わざわざ?」「そうそう」なんて話している間に、アテ(おつまみ)の交換。
さらに盛り上がってくると、英語も話せないのに、その隣の明らかに旅行者のアメリカ人にも話しかけてゆく…そんな経験をしたい方、ぜひ我が天満にお越しください。


昼から深夜までにぎわいが続く

~ 広報委員からのひと言 ~

…そんな経験がしたいですう~と再び思いだしました。若いころ淡路の会社に勤めておりまして、仕事帰りに繰り出すとなると天満、天神橋。北三支部の合同例会に呼んでいただいたときには正にこの詰めつめの居酒屋懇親会で、酒もよし料理もよし。遠くの外国人のお客も盛り上がって、和食文化を楽しんでいる?ここはコミュニケーションの原点かも。 (編集 西岡)

vol.55

大阪地域自慢

鳥居の向こうに巨大な獅子殿
~食と人種のカオス~

大阪中央ブロック・臨港支部(株)イングネット 谷澤 康裕

グーグルマップにも「獅子頭の形をした舞台で知られる小さな神社」と紹介される大阪八阪神社。古来「難波下の宮」と称され、難波一帯の産土神でした。歴史は古く、詳しい資料は残っていませんが、平安時代以前に創建されたとされています。そんな大阪八阪神社の一番の見どころが1974年(昭和49年)に完成した巨大な獅子殿。この場所は昔から子どもたちの獅子舞が盛んで、常設の舞台を作るにあたり「日本一の獅子頭を」ということで作られたそうです。


インバウンド観光客にも人気の獅子頭

高さは12メートルで、4階建のビルと同じ高さに相当し、お正月や夏祭り、神事の時には、獅子舞や舞踏などが奉納され、その際になんと目はライト、鼻はスピーカーになるそうです。そして、気になるのがこの獅子殿のご利益。巨大な口が勝利を呼び込み、万人の苦難や邪気を飲み込んで勝運(商運)を招くということで、学業向上、合格・就職・商売繁盛を祈願しようと全国各地から参拝する人が訪れています。


鯉の形の恋みくじ

巨大な獅子殿以外にも「恋」にかけた「鯉」のお守りや、パワースポットとしても有名な大阪八阪神社。光る目と音のなる鼻を見に、来年の夏祭りにもう一度訪れようと思います。

~ 広報委員からのひと言 ~

大阪難波の八阪神社、これはうっかりしていました。八坂といえば京都ばかりかと思っていたのですがここは下の宮と呼ばれた祇園の神様の親類のようなところなのですね。それにしても社殿の写真をご覧ください。大きな獅子頭に飲まれるようにお参りするみたいです。ぜひ近々行ってみましょう。
(編集西岡)

vol.54

大阪地域自慢

昔の風情、技術・伝統を今に引き継ぐ街
~堺市堺区・百舌鳥・古市古墳群~

大阪南ブロック さかい浜支部 IS司法書士法人 脇田 直之

先月、百舌鳥・古市古墳群が世界遺産に登録されました。その中でも最大を誇る仁徳天皇陵古墳は堺区にあります。堺は昔から製造業が盛んでした。「もののはじまりなんでも堺」といわれるくらいです。包丁、自転車、線香、傘など、皆さんが使っているものも発祥は堺といわれています。


幕末維新の教育文化センター郷学所跡

堺区の阪神高速15号堺線から西側は、昔の風情が今なお残る街です。有名な山口家住宅の主屋は1615年、大坂夏の陣の戦火により市街地が全焼した直後に建てられた、国内でも現存する数少ない江戸初期の町家のひとつとして、1966年に国の重要文化財に指定されています。


紀州街道に沿う文化財、商家風景

そのほか、包丁展示館、自転車博物館など伝統と技術を知ることができる施設もあります。くるみ餅、芥子餅など古い和菓子のお店もあります。そんな歴史と伝統ある地域で経営させてもらっていることは、とても幸せだと感じます。

~ 広報委員からのひと言 ~

ニュースで聞いたのは、世界遺産登録を記念して、仁徳天皇陵を高いところから見物できるような施設を行政が造りたいとか、小型飛行機を飛ばして周遊観光のサービスを考える業者が出現したとか。突然沸き立った嬉しいお話でしたね。そして堺には時代を先取りしてきた勇姿が今も残ります。
(編集 西岡)

vol.53

大阪地域自慢

京街道をゆく
~関目発祥の地と七曲り~

大阪東ブロック・大東四条畷支部(株)今井広告研究所 今井 あきら

会社がある『城東区関目』という地名の由来を調べるために歩いてみる。まずは氏神様にごあいさつを…と関目神社に立ち寄ると「関目発祥之地」と書かれた石碑があり「この地はもと関目といい、古くは榎並荘の時代からあったもので、関目というのは、この地に見張所(目で見る関所)があったことから起ったと言われる」とのこと。

さらに「関目の七曲りとして大阪城の防備に役立ったという重要な地であった」とあるので七曲りを少し 歩いてみることに。豊臣秀吉が大坂城築城の際に道路をわざと曲げた形にして、敵兵の陣形や兵数を上から見渡せるようにしたのだという。通り過ぎる車はゆっくりとしたスピードで慎重に走っている。確かにくねくねと右に左に大きく曲がっている。歩いていると「京街道」と書かれた石碑があること にも気づく。「2.3キロメートル」と掘られており、大坂城京橋口から、守口宿、枚方宿、淀宿、伏見宿を経て京都まで通じていた街道の面影を感じることができた。

最後に、今井広告研究所に車で来ていただいたことがある方は、会社の周りの厄介な一方通行に迷惑されたかと思う。なぜ一歩通行が多いかというと、昭和45年頃から住宅地内の歩行者の安全向上を図り、住民が住みやすい環境を目指した街づくりが行われたため、順次一方通行規制が適用されたからだという。関目は人にも優しい街だった。

~ 広報委員からのひと言 ~

関所の見張所があったから関目とは、思わぬ歴史の勉強になりました。太閤秀吉さんは京都の方からの敵方の攻めに備えて、特に京橋口の守りを固めたとい われておりますが、終戦後の道路が大きく変わっている中、今もこのような大坂城築城以来の知恵が残っているとは驚きです。(編集西岡)

vol.52

大阪地域自慢

ラグビーの街ひがしおおさか
~ラグビーの経験を経営に生かす~

中河内ブロック・東大阪第一支部(株)水野製作所  水野 佑哉

2019年9月より、日本でラグビーワールドカップが開催されます。ラグビーワールドカップは日本各地で予選が開催され、決勝は神奈川県の日産スタジアムで行われます。東大阪でも、東大阪市花園ラグビー場で予選が開催されるということで、さまざまなイベントが催され、にぎわいを見せています。花園ラグビー場は、ラグビーの聖地といわれており、冬には高校日本一を決めるラグビー専用の球技場として全国的に知られています。ラグビーは危険というイメージが強いスポーツですが、タックルやスクラムなどの危険なプレイが無い「タグラグビー」が普及し始めており、年齢や性別、経験にかかわらず皆で楽しめるスポーツとして再度注目を集めています。私の家族は、妻は元マネージャー、娘と息子も幼児ながらにラグビーをしているラグビー一家です。当初は嫌々練習していた娘も、今ではボールへの執着心と闘志を燃やす立派なラガー女子へと成長しました。

また、ラグビーを通して一生のかけがえのない友だちづくりをしてほしいという思いを込めて、子どもたちにもラグビーをしてほしいと強く思っています。私自身は、ラグビーを通した経験や仲間づくりを経営に活かし、これからの企業づくりに励んでいきたいと思っております。

~ 広報委員からのひと言 ~

ラグビーといえば懐かしい1984年放送のテレビドラマ「スクール☆ウォーズ~泣き虫先生の7年戦争」を思い出します。コーチの泣き虫先生は山下真司さん。109対0という悲惨な敗退から「打倒相模一高」を合言葉に、日々練習を重ねる川浜高校ラグビー部。ついにわずか7年で全国優勝を果たすという実話に基づいたストーリーにこちらも泣きました。(編集西岡)

vol.51

大阪地域自慢

vol.51 風情漂う居住地、帝塚山
~レトロモダンな散歩道ご紹介~

大阪南東ブロック・阿倍野・住吉支部 アージャック 荒田 としたか

実は私生まれも育ちも阿倍野区なのですが、学生のときに住吉区に住んでいたのです。住吉大社の真横でちん電沿いのアパートでした。電車が通るとTV画面にノイズが入る状態だったのですが、デジタル化になってそれは解消されているのでしょうか。

住吉区は巨大な行政区で1943年(昭和18年)4月1日、15区制から22区制へと細分化された時に東住吉区と阿倍野区が分離されまれました。

阿倍野から住吉にかけて帝塚山があり、帝塚山古墳の地域となります。旧家のお屋敷の名残がその道に残っていて、かつてご婦人たちは今でいうドライブのように人力車に揺られてこの地域の風情を楽しんだそうです。まだまだ古風な家は残っているものの、大きな家の先輩たちは相続できず、その跡にマンションが建って景観は変わってきています。

曲がりくねった道からレトロモダンな町並みがいい散歩道となっています。レトロな日本建築と古墳が探索できます。立ち並ぶ民家の中には看板も上げていない古民家の隠れ家レストランやカフェが、お忍びで営業していると聞いています。

~ 広報委員からのひと言 ~

帝塚山といえば、矢絣の着物に袴、ブーツをはいたハイカラさんが行く大正ロマンの街。そこを通るはいずれのお屋敷のお嬢様か、そんなイメージがわいてきますが、いかがでしょう。しかし奈良市にも同じ帝塚山という地名があります。そしてこちらも有名な学び舎が。その名の通り帝の墳墓が築かれた由緒ある街なのですね。(編集西岡)

vol.50

大阪地域自慢

vol.50 フットワークが軽くなる!「足の神様」は菅原道真公が由来だった
?服部天神宮で健脚祈願を?

大阪北ブロック 北第一支部(株)エガオール 土本 晶子

豊中市のほぼ真ん中に位置する服部天神宮は阪急梅田駅から10分。服部天神駅の改札を出て参道を進み、鳥居をくぐるとたくさんの健脚祈願ののぼりと菅原道真公の銅像が目に入ります。よく見ると道真公の膝はツルツル。参拝者の多くは願いごとを唱えながら左右の膝を念入りに撫でています。

ここ服部天神宮は、菅原道真公が九州の太宰府に左遷される途中に立ち寄った場所です。脚気により歩けなくなった道真公は、薬の神様である少彦名命(すくなびこなのみこと)を祀っていたこの地の天神祠で病気平癒を祈願されました。その後、痛みが治まり、大宰府まで歩くことができたといわれています。その由来から、道真公を足のケガや病気を治す「足の神様」として参拝者が絶えない神社となりました。サッカーJリーグのガンバ大阪の選手も祈願に訪れているそうです。

境内には末社の「豊中えびす神社」があり、1月の十日えびすには多くの人で賑わいます。私たち中小企業の経営者は何よりも体が資本。第二の心臓といわれている足をいつまでも健康に保つためにぜひ一度訪れてみてください。

~ 広報委員からのひと言 ~

天神さんは学問の神様と思いきや、服部天神は「足の神様」でもあったとか。苦しきときの神頼みなんて言いますが、日本人の心の奥底に、すがりたい、助けてもらいたいという気持ちがあって、人は自然に手を合わせお参りに励みます。それにしても八百万の神、学業成就、無病息災、商売繁盛、交通安全とお守りの神頼みは10通りも20通りもあるみたいですね。(編集 西岡)

vol.49

大阪地域自慢

vol.49 地域みんなの力でよみがえった堀江
?立花「Orange Street」?

大阪中央ブロック 西支部 PinkRose 広瀬 みゆき

大阪市西区の堀江は、心斎橋からも本町からも徒歩10分くらいでとても便利です。そしてなんといっても堀江はおしゃれなカフェやブティックや雑貨屋さんがあり、女性としてはウキウキする町です。今回はそんな堀江の歴史を調べて散策してきました。
昔から河川や水路が発達していて輸送に水路を活用し、材木屋や家具店が自然に増えていったようです。高度経済成長期には、家具を買い求める人のラッシュで全国有数の家具店街として栄えました。このあたりの地名より「立花通り」と呼ばれていました。

しかし、時の流れとともに郊外型の大型家具店などが増え始め、危機を感じた家具店商店主らは、1992年に「立花通活性化委員会」を発足し、「立花通り」の愛称を新聞で公募。1,000通を越える応募の中から「Orange Street」という名前が決まりました。「立花通り」は古来「橘通り」と書かれており、ミカン科の樹木である「橘」という字に由来して決めたそうです。
その後委員会が国内外の活気ある商店街や家具店街を視察してまわった中で、イギリスのポートベローやカムデンロックのイメージが堀江の将来像に大きなインパクトを与えたそうです。この2都市はアンティーク家具の街として世界的に有名で、ここで行われたアンティークのフリーマーケットを見学し、Orange Streetでもやってみることにしました。空いている駐車場を活用し、試験的に行われた第1回のフリーマーケットでは2,000人を集め、大成功でした。最近では家具店街のイメージこそ薄れたものの、Orange Streetの家具店商店主らの地道な努力で今日の堀江が誕生し、これからも刺激的な新しい街として成長を続けていくことと思います。

~ 広報委員からのひと言 ~

スーパーマーケットや大型家具店が郊外で車の便が良い場所にできていき、大きな買い物はそこですべて揃うといった変革が全国各地で起こっていきました。「橘通り」ももれなくそんな時代に風化されようとしたのですね。しかしこの街の将来をぬりかえていったのは商店主たちの行動でした。街で遊ぶ、文化を楽しむ、こだわりの家具を見つける、そんな堀江に刺激されます。(編集 西岡)

vol.48

大阪地域自慢

vol.48 お茶と文学・芸能に生きる
?堺のひとびと?

大阪南ブロック さかい浜支部 菱田技研工業(株) 菱田 聡

堺の特色ある歴史文化資源を紹介する施設として「さかい利晶の杜」(りしょうのもり)が平成27年に開場しました。利は千利休。展示施設の利休の音声解説は堺市出身で堺親善大使の歌舞伎俳優・片岡愛之助です。茶の湯体験施設では、代表的な三つの流派の茶室が併設され、お点前の指導を受けたり、お茶をたてたりできます。

晶は与謝野晶子。展示施設では、晶子の書斎や生家「駿河屋」(菓子商)をほぼ実際のサイズで再現しています。また、著書の展示では、当時非常にモダンであったと思われる装幀を多数見られます。

与謝野晶子は市立堺女学校の出身です。同校は府立高等女学校に改編され「おしん」や「渡る世間は鬼ばかり」を脚本にした橋田壽賀子さんが卒業しています。学制改革により名称変更した府立泉陽高校からは女優の沢口靖子さんが卒業しています。沢口靖子さんについては、「入学式の日、新入生にすごくかわいい子がいると在校生が教室に押し寄せて大変なことになった」また、当時の家庭教師(サラリーマン時代の同期)によると、「部屋にはデビュー前なのに『ファンからもらった』という大きな写真が掛かっていた」といった逸話があります。

~ 広報委員からのひと言 ~

もののはじまりは堺から、と言われたほど、堺の歴史は地の利の良さからものづくりや物流が盛んであったところ。代表される千利休と与謝野晶子。外国の人にもここを紹介したいですね。ところでBS時代劇にはまっています。沢口靖子さん主演「小吉の女房」では勝海舟の母上役。少々乱暴だが正義に厚い小吉が海舟の心意気を育てたのかもなどと思いながら…。(編集 西岡)

vol.47

大阪地域自慢

vol.47 龍は身を挺して雨乞いの人々を救う
?龍頭寺・龍腹寺・龍尾寺の伝説?

大阪東ブロック 大東支部 (株)山田製作所 山田 雅之

大阪から奈良に向かう阪奈道路(府道8号線)を登る中腹に、龍間という地があります。この周辺には龍の住む地といわれる龍伝説があります。聖武天皇のとある時代、この地が大干ばつにみまわれました。雨乞いを行うも一向に雨は降らず人々はとても苦しみました。ある時、行基という僧侶が現れ、水の枯れた滝壺で「法華八講」という儀式を行いました。すると天から若い龍が現れ「私は天に住む龍です。大龍王さまは

『欲が深い自分勝手な悪心の人間どもを、こらしめるために雨を降らさないのだ』とおっしゃっています。私が雨を降らせば大龍王様は怒って私を殺すかも知れません。しかし、あなたの仏恩に報いるためにも雨を降らせようと思います」と言いました。そしてたちまち空が真っ暗になり雨が降りはじめ、山野のすべてが蘇りました。ところが雨がやむと、空から大龍王の怒りにふれて三つに引き裂かれた若い龍の身体が落ちてきました。その若い龍を供養するために、頭部が落ちたところに龍頭寺(龍光寺)、腹の落ちたところに龍腹寺(龍間寺)、尾が落ちたところに龍尾寺(四條畷)が建てられました。《諸説いろいろあります》こんな伝説がある大東市ちょっと調べてみてください。

ここ数年は同友会の企業さんも子どもたちが楽しめる工作体験などのブースを出店されるなど、ふれあい祭りを通じて、まちの市民や企業、行政などすべてが関わり合い東大阪のまちづくりに取り組んでいっています。

~ 広報委員からのひと言 ~

久し振りの日本昔ばなしといった伝説のご紹介です。全国行脚の旅に出られた行基さんの足跡は各所に残り、これもその一つなのですね。生きるための命の水、雨を降らせよと雨乞いを頼んだ人々の気持ちは天にも届き、善良な龍が雨を降らせてくれた、しかしそれが大龍王の怒りを買うとは、悲しいお話です。(編集 西岡)

vol.46

大阪地域自慢

vol.46 市民祭りを通じたまちづくり
?東大阪市民ふれあい祭り、準備始まる?

大阪中河内ブロック 東大阪第三支部 司法書士山下法務事務所 山下 正悟

ものづくりのまちとして知られる東大阪市。また、ラグビーの聖地といわれる花園ラグビー場もあり、2019年はラグビーワールドカップも開催され、花園ラグビー場も会場の一つとして選ばれているため、市内のスポーツ熱も少しずつ盛り上がってきています。

その東大阪市では、毎年5月の第2日曜日の母の日に「ふれあい祭り」という大規模なお祭りが開催されています。この祭りは、1978年(昭和53年)に第1回目が開催されてから、今年で41回目を迎えます。布施から八戸ノ里間の道路を歩行者天国にした会場と、花園ラグビー場に隣接する花園中央公園会場の2カ所で同時開催され、前日には花園中央後援で大規模な花火が打ち上げられる前夜祭もあり、全国でも有数の、市や企業が主催するものではなく市民が自主的運営を行う市民祭りとなっています。

ここ数年は同友会の企業さんも子どもたちが楽しめる工作体験などのブースを出店されるなど、ふれあい祭りを通じて、まちの市民や企業、行政などすべてが関わり合い東大阪のまちづくりに取り組んでいっています。

~ 広報委員からのひと言 ~

生駒山脈の西麓、東大阪市にはたくさんの工場や流通基地が立ち並び、ものづくり匠の街の中心となっています。オリンピックの前にはラグビーワールドカップが開催され、話題がいっぱい。お祭り気分を盛り上げてくれるでしょう。日本はいろんなスポーツが盛んで強くなってきています。これも平和の象徴ですね。
(編集 西岡)

vol.45

大阪地域自慢

vol.45 東住吉・平野発、地域の「凄い!」を
地元から発信し続けてもう15年!!
?地域活性化プロジェクト産業交流フェア?

大阪南東ブロック 平野支部 (株)向井珍味堂 中尾 敏彦

約15年前、突然地域の若手経営者が集められ、たった3カ月で我々超素人集団が起ち上げた「産業交流フェア」。大商、区役所、各工産業会、市工連、地活会、同友会という前代未聞の連携共催のもとに、何と今年で第14回目もの開催となっているのです。私たちの思いは、まず「地元にこんなに凄い会社、技術、商品が有るんや!」と、地域の皆さんに知ってもらい、発信すること。自社の優れた技をどうやってPRしたらエエのか?を学んでもらい、地域の子どもたちに地元の誇れる企業で働きたいと思ってほしい!とお試しの場を毎年提供。そのために我々実行委員会は半年以上前から準備、また当日の運営~お片付けと、まったくの手弁当で取り組んできました。フェア当日は、約50の地元企業、学校、各種団体が出展し、毎年約2,500人もの方々に来場いただいております。更にH25年度からは『地域ブランド認定事業「H2O」』をスタート、その認定、広報活動を継続。今年度のフェアは場所を変え「ものづくりの発信基地よりお届けしますinクラフトパーク」というテーマで、H31.1.18~19に開催いたします。

クラフトパークは9つの専門工房を有し本格的な設備のもと、一般の方への教室を開催する「日本で唯一の総合工芸施設」。この場所で今回も「ものづくり」にかかわる数多くの展示や体験ブース、おいしいものも取り揃えていますので、ぜひ皆さんのお越しをお待ちしております!!

~ 広報委員からのひと言 ~

地域おこし、街づくりで各地のバルや祭りが繰り広げられる中、地域の「凄い!」をアピールする中尾氏の熱弁が伝わってきます。たくさんの団体、それも民間、公、学校とこれぞ産官学ですね。新年明けて風も冷たいさなか、良いお天気に恵まれてクラフトパークにいっぱいの笑い声が聞こえることをお祈りします。
(編集 西岡)

vol.44

大阪地域自慢

vol.44 大阪市北区には歴史がいっぱい!!
?浪速の名橋『難波橋/ライオン橋』?

大阪北ブロック 北第一支部 WalkOn(株)赤井 幸智

難波橋は、北区西天満から中央区北浜の堺筋にかかる橋であり、天神橋・天満橋とともに「なにわの三大橋」ともよばれています。以前の難波橋は現在の堺筋より一つ西側の筋でしたが、今の堺筋線に移されたようです。また、中之島公園と一体となった都市景観創造計画により当時のヨーロッパの有名橋にならって、橋の南北四隅にライオンの石像がおかれたとのこと。ライオン像は多くの注目を集め、難波橋は「ライオン橋」の愛称で親しまれています。橋の南詰め、および北詰めに設置された最上級の黒雲母花崗岩を素材にした像(天岡均一作)は当時珍しかった天王寺動物園のライオンがモデルといわれています。像は左側が口を開く阿形像、右側が口を閉じる吽形像となっており東大寺の南大門にある金剛力士像のようですね。

難波橋に設置されているこのライオン像とそっくりのものが「がんこ和歌山六三園」にあります。その前身は戦前、大阪で活躍した相場師の松井伊助が築いた「六三園」という別荘だったようです。松井伊助が大勝負を繰り広げた難波橋界隈のイメージを故郷に持ち帰るためにライオン像を置いたのではないだろうかといわれています。

~ 広報委員からのひと言 ~

中之島界隈には近代大阪のビジネスを語るレンガ造りの建物や偉人のブロンズ像などが多数あります。明治から大正にかけ西洋の文化を取り入れて急激に栄えてきた大阪商人の活力を感じる遺跡ですが、中は今風に改造されて現役使用中。ライオン橋もその一つ。この地の隆盛を表すように吠えています。
(編集 西岡)

vol.43

大阪地域自慢

vol.43 変わりゆく「でんでんタウン」と「五階百貨店」
?昭和へのタイムトリップ?

大阪中央ブロック 臨港支部(有)田代商店 田代 宜達

大阪人が日本橋の「でんでんタウン」と聞いた時、思い浮かべるイメージで世代が分かれてくるのではないでしょうか?家電製品を中心にオーディオの街から、パソコンの街へ。そして、家電量販店が廃れていく中、場所を西へ移動してオタクの街へ…。

そんな変わりゆくでんでんタウンの中にも、昔から工具を中心に扱っている「五階百貨店」と呼ばれるエリアがあります。「五階百貨店」って妙な名前ですが、名前の由来は明治時代にまでさかのぼるそうです。明治時代、今宮村(阪神高速阿倍野入口付近に記念碑があります)にありました5階建ての「眺望閣」を中心に、いろんな露店が立ち並んでおりました。それらの露店を総称し「百貨店」と呼んだそうです。そのため「五階百貨店」とは店名ではなく、地域を指す名称として使われてきました。そして現在までに場所を移動して、日本橋3丁目付近にいたっています。その五階百貨店エリアの中に日本橋商店会があります。でんでんタウンから細い路地に一本入れば、見た目は古びたシャッター街。でも、奥に進んでいくと、きもの屋さん、アンティークショップ、電化製品店、毛皮屋さん…とさまざまなお店が顔を出してきます。店構えや細い路地の他に、ダイハツミゼット、ブラウン管白黒テレビ、黒電話、古時計などが展示されているスペース「昭和ノイエ」が懐かしい雰囲気を醸し出しています。最近では、BARやカフェ、手作り小物雑貨店、パンダ焼き屋さんといった新しいお店も出店してきており、ますます目が離せない地域となっております。お近くにお越しの際は、ほんの少しのタイムトリップを味わいに遊びにきてください。

~広報委員からのひと言 ~

来年は平成に代わってなんという年号となることでしょう。昭和は遠くなりにけりなどと言われますが、古い私は道具屋筋が懐かしいです。職人が使う工具や飲食店の食器、機器など専門的な道具が並び、ここで調達すると店一軒すぐにでも開業できました。今は大型家電店やホームセンターなどが郊外に建つ中、ここは外国からの観光客や、趣味の極みに集まるお客様でにぎわっているようですね。
(編集西岡)

vol.42

大阪地域自慢

vol.42 今は自然豊かなサイクリングの聖地
~市制60年、ブドウの名産地柏原市~

大阪南ブロック 河南支部(株)インテリアみやの 稲葉 弘幸

今年で市制60周年を迎える柏原市は、大阪平野の南東部、大阪府と奈良県との府県境に位置しています。市域の3分の2を山が占め、中央部を大和川が流れています。大阪の都心からわずか20kmほどの距離にありながら、緑の山々と美しい渓谷、豊かな川の流れなど、多彩な自然環境を備えています。

山麓にはブドウ畑が多く、夏から秋にかけては「ブドウ狩り」を楽しむ家族連れや遠足の子どもたちで賑わっています。100年ほど前はこの南河内地域が全国一のブドウの産地でした。市のマンホールにもブドウの絵が描かれています。このブドウを活かした柏原ワインは派手ではないが、まろやかで濃厚な味わいで「通好み」として人気が高いです。

また、近年では山と川を一緒に楽しめるサイクリングの聖地として愛好家に注目されています。急な山道をのぼり山の頂上から見える大阪平野を満喫する上級者。古き良き風情を味わうサイクリストや、大和川沿いの川の風を感じながら走る初心者…週末にはたくさんのサイクリストたちが柏原市を疾走しています。

~ 広報委員からのひと言 ~

柏原市を横断する大和川は、江戸元禄年間までは柏原から北へ向かって流れ、河内平野は度々洪水に見舞われたそうです。ようやく治水工事の計画が進み、宝永元年(1704年)僅か8カ月の工期で新大和川が誕生し、堺の海へと川の流れを変えました。重機の無い時代これほど早く工事が完成しているのに驚きますが、幕府と近隣大名、日当を支給された農民の力を合わせた賜物で、総工費71,500両(現在の約140億円)と言われております。―柏原市ホームページより―
(編集西岡)

vol.41

大阪地域自慢

vol.41 太古から歴史ある「東成区」
~住民と企業が力を合わせた地域~

大阪東ブロック 東成・生野支部 (株)光製作所 井上 吉史

西成とよく間違われる東成。実は起源が古く、大化の改新以降、上町台地を中心に東は難波大郡、西は難波小郡と言われており、713年(和銅6年)にそれぞれ東生郡、西生郡と名づけられました。東生郡は生駒山の麓まで広がる地域だったのが、江戸時代に入り、東成郡と改名されました。明治初期までは、現大阪市の大半は摂津の国で、西成郡と東成郡が占めていました。大正に入り大阪市ができ、東成郡が大阪市に統合され、東成区が誕生しました。昭和に入り旭区、生野区、城東区が分区独立し、東成区となりました。

戦前戦時中は大阪城の東側に大阪砲兵工廠(ほうへいこうしょう)があり、重工業分野では世界のトップレベルの水準で、下請け加工をする工場がたくさんありました。今でも鋼材、バネ、ネジ、線材などを扱う工場や商社が東成区に多いのは、その影響と思われます。東成区は住工商混在の地域で、住民と企業が力を合わせて安心安全な地域づくりに取り組んでいます。震災などの非常時には人と人とのつながりが重要で、協力し合えると思います。我々ものづくり企業としては、地域密着で発展していければと思っています。

~ 広報委員からのひと言 ~

6月号でもご紹介しました東成区、住工商混在の地域では、そこに住む人たちと町工場の関係が大変近く、深く地域密着の活動を続けておられます。防災や危機管理に地域住民が一丸となり、ひとたび何かが起こったときには協力し合える地域、いいですね。
(編集 西岡)

vol.40

大阪地域自慢

vol.40 八尾の農産物を使った「ご当地グルメ」が誕生
~産学官あげての八尾バルにいらっしゃい~

中河内ブロック 八尾支部 おふぃす・ともとも 高野明美(八尾バル実行委員長)

~産学官あげての八尾バルにいらっしゃい~

「八尾を盛り上げたい!」という思いを持った八尾市民たちが、7年前に立ち上げた飲み歩き食べ歩きイベント「八尾バル」。2018年7月14日(土)、15回目が開催されます。バルは、飲食店をはしごするように飲み歩き食べ歩きするイベントで、他地域でも開かれています。しかし、八尾バルには他のバルにない2つの特徴があります。一つは「八尾えだまめ」「八尾若ゴボウ」を使ったご当地メニューが出てくるところ。
もう一つは、八尾在住の社会人や学生が、完全ボランティアで運営しているところです。八尾市外の皆さんは、八尾が近畿最大のえだまめ生産地であることや、葉っぱから根っこまで食べられる若ゴボウの存在を知りません。これをバルメニューを通じて知ってもらい、八尾の飲食店に足を運んでもらうことで街を活性化したい、という思いがあります。開催するたびにお客様が増え、いまでは40店舗が参加し、1日3,000食近くが出るイベントにまで成長しました。
八尾の企業も八尾バルに協賛してくださるなど、産業、商店、市民、学生がコラボで盛り上げるイベントとなっています。さて、今回はどんなご当地メニューが誕生するのか。おいしい八尾を味わいに、ぜひいらしてください。

~ 広報委員からのひと言 ~

八尾の地域自慢に、まだ若い緑の大豆を使って醸造したえだまめビールもご紹 介しましたね。八尾の若ゴボウも有名だそうです。雄大な河内平野に育つご当地野菜を使ったメニューでおもてなし、素晴らしいイベントが開催されるとか。夏場になると河内音頭の太鼓の響きが聞こえてきそうです。
(編集 西岡)

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