コラム・大阪地域自慢

大阪の北から南へ、西から東へ、ぶらりと旅をすれば必ずやその地の自慢があります。大阪に長年住んでいながら知らなかったことや、知っていたことも更に詳しく、各支部からご紹介していただき、大阪の通になりましょう。きっとその土地へ行ってみたくなるはずです。

vol.23 わが街探訪 地域に根付いた心の拠り所
〜野々宮神社へ行ってきました〜

vol.23
大阪南ブロック 
EASTさかい支部
結婚相談所さかいレジェンデ
代表 岡崎 直人

鎮座
南海高野線中百舌鳥駅から泉北高速鉄道に乗車、すぐに地下へ潜りしばらくすると高架線に移ります。3分ほど直線を高速走行した電車は、減速しながら大きく左カーブとなり私の事業所の最寄り駅「深井」に到着。右手に近代的な街には不釣り合いな森が見えます。この森は「常陵の森(とこはかのもり)」と言う鎮守の森であり、その森の中に、野々宮神社が鎮座されています。
火の宮 野々宮神社 堺市中区深井清水町3839番地
・主祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)鎮火の神
・火産霊神 発火の神
・菅原道真公 文字の神
末 社 稲荷神社 稲荷大神
・春日神社 春日大明神、住吉大明神
・八幡神社 大国主命、誉田別命
・厳島神社 市杵嶋姫命、弁財天
 ここは伊勢神宮 遥拝所となっています。
湯里は温泉が湧いていて昔は湯屋島と呼ばれていてそれが後に湯里になりました。針中野(はりなかの)は元中野村と砂子村で、中野鍼(なかのはり)という江戸時代より開業していた有名な鍼灸院が、近鉄電車の前身である大阪鉄道の開通に尽力し、そのお礼として最寄駅を針中野にし、それが地名になりました。桑津は「津」という名が表しているようにもともと港があった場所で、ここに応神天皇の御代に日向の国(今の宮崎県)より髪長媛と呼ばれる女性を迎え、当時は大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)であった仁徳天皇が彼女を見初めて妃に迎えたといわれています。

由来
 創建は不明ですが、現在の場所に鎮座されたのは400年前の天正年間(室町末期)と伝えられています。転座前は、深井中町にあった香林寺(明治の廃仏毀釈で廃寺)の敷地内にあったようで香林寺の鎮守社であったと考えられます。
 境内には、勇壮な神さま(ほぼ男神)がズラリと鎮座されていますが、この聖域はなぜか女性的な空気を感じます。また、参拝者も女性の方のほうが多いような…

宮司さんにお話を聞きました。
 現在の社家としては4代目にあたります。それまでの社家であった野々宮家が断絶したため現宮司さんの曽祖父が社家を引き継ぎ現在に至ります。野々宮さんといえば秋のだんじり祭りが有名ですが、やはり火の宮であるので12月12日の(お祭りは、12月第二日曜日)火祭りが大祭となります。
 だんじり祭りは、10月5日(お祭りは、10月第一土、日曜日)に開催されます。土曜日が6台、日曜日が8台の全14台が宮入します。お祭りには、地域の方々が常にご奉仕されていて地元に愛されている神社だとわかります。氏地のほとんどがだんじりを所有し昔から壮大なお祭りなのか、と思っていたらそうではなかったようです。
 神社から東の地区(深井水池町、深井沢町、深井東町)は、その昔、田園地帯で人は住んでいなかった、つまり神社は深井地区の東の端に位置していたのです。(今は、深井地区の中心に位置する形になります)そして、氏地には今ほど人が住んでおらず、今ほどたくさんの地区が無かった、というわけです。

神 道
 最後に、宮司さんからお言葉をいただきました。「心変われど、日本人が日本人であってほしい」日本人が数千年前から祈りつづけてきた神さま。「私は無宗教、無信心」と言う人でも正月には初詣に行きます。聞くところによると、日本中で初詣には8千万人の方が参拝するそうです。無意識のうちに、どこかで神さまに手を合わせていますね。神さまや氏神様が身近な存在となることで、いろいろな気づきを得て事業にプラスとなることもたくさんあるはず。みなさんも、氏神様で商売繁盛のご祈祷を受けられてみてはいかがでしょうか?

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vol.23 わが街探訪 太古の歴史が息づく街 東住吉
〜地名の由来は神代の昔にさかのぼる〜

vol.23
大阪南東ブロック 東住吉支部
いしのでんき
代表 石野 隆

 東住吉は名前の通り住吉さんからきています。大阪市が成立した明治22年(1889年)には大阪市に編入されず住吉郡からのち東成郡になり、大正14年(1925年)に住吉区として大阪市に。昭和18年(1943年)に住吉区から分区し東住吉区が生まれ、昭和49年(1974年)に平野区が分かれて今の形になりました。住吉の東という名前がある通り西暦200年代に活躍した神功皇后とゆかりのある住吉神社の成立からの歴史が残り、東住吉には変わった地名が多いです。
大阪の難読地名としても有名な住道矢田(すんじやた)は、大東市の住道(すみのどう)と同じ漢字を使いながら成立した歴史が違い、もともとは須牟地(すむち)という地名で住むに適した地からかと思われます。この地に大陸からの来訪者が訪れる港となっていた住吉大社と都のある奈良を結ぶ磯歯津道(しはつみち)ができて住吉へ至る道として住道と漢字を当てて読みが訛って今の住道矢田が成立しました。
ここの中臣須牟地神社(なかとみすむちじんじゃ)や須牟地廃寺、松原市の天美の地名の由来になっている東住吉区の阿麻美許曾神社(あまみこそじんじゃ)などに中臣氏の先祖が祭られていて、中臣氏と縁がある場所であるといえます。
鷹合(たかあい)という地名は仁徳天皇の御代に依羅屯倉(よさみのみやけ)の阿弭古(あびこ)(住吉区の我孫子の由来)が鳥を捕まえ天皇へ献上し、その鳥が鷹であって飼育するといいと酒君(さけきみ)という人が言うのでその酒君に鷹を飼育する鷹甘部(たかかいべ)を設置し鷹甘(たかかい)が訛って鷹合(たかあい)になったといわれています。
湯里は温泉が湧いていて昔は湯屋島と呼ばれていてそれが後に湯里になりました。針中野(はりなかの)は元中野村と砂子村で、中野鍼(なかのはり)という江戸時代より開業していた有名な鍼灸院が、近鉄電車の前身である大阪鉄道の開通に尽力し、そのお礼として最寄駅を針中野にし、それが地名になりました。桑津は「津」という名が表しているようにもともと港があった場所で、ここに応神天皇の御代に日向の国(今の宮崎県)より髪長媛と呼ばれる女性を迎え、当時は大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)であった仁徳天皇が彼女を見初めて妃に迎えたといわれています。
杭全(くまた)は平野の杭全神社(くまたじんじゃ)が有名ですので平野区かと思いきや、町名としては東住吉区になります。由緒は諸説ありますが、杭(くい)を全(まった)くたくさん打ったというところから杭全となったといわれています。こういった歴史も古い東住吉。古くから住んでいる人も、新しく住んだ人もわが街を愛し、盛り上げていこうといろんな活動をしています。

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vol.22 わが街探訪 大坂夏の陣、激戦の地
〜木村重成の位牌を納める蓮城寺〜

vol.22
中河内ブロック 東大阪東支部
(有)カジタニ金属 
鍛冶谷 伸司

室町時代から戦国の世まで
 今回は、中河内若江の戦国スポット『若江木村通り』をご紹介いたします。東大阪市若江町( 旧若江村) の歴史は古く室町時代に『若江城』が築城され戦国時代には織田信長による石山本願寺攻撃の拠点となりました( 和睦後に廃城となる)。また江戸時代初期の1615 年(慶長20 年)にあった大坂夏の陣において当地を中心に大規模な戦闘が繰り広げられるなど、250 年にわたり、乱世の始まりと終わりをみとどけた若江、その史跡を辿ります。
 ではまずNHK 大河ドラマ「真田丸」でも活躍が描かれた、戦国武将「木村重成」ゆかりの地をご案内します。重成は幼少から豊臣秀頼の小姓として仕え、信頼も厚く元服後は重臣として重要な会議にも出席するようになった秀頼公側近の武将です。「大坂冬の陣」では後藤又兵衛とともに今福砦攻防戦を展開し、数に勝る徳川軍と対等に戦い全国にその名を広めました。その後は真田丸の戦いにも参加しましたが、翌年の「大坂夏の陣」においては豊臣勢主力として長宗我部盛親とともに八尾・若江の戦いに出陣し討ち死にとなりました。
 近鉄奈良線の若江岩田駅前より南の商店街通り( 通称木村通り) を抜けていくと重成ゆかりの寺「蓮城寺」があります。境内の位牌堂には、美男子として知られた重成の肖像画と位牌が祀られています。重成は戦いの前に死を覚悟し、討ち取られた際も見苦しくないよう、頭髪を清めて香を焚き込めていたそうです。その美しい死に様と覚悟には、家康も心目を震わせたといわれています。
  蓮城寺より南の川向の木村公園は、重成が討ち死にした場所とされ現在は御墓が建てられています。毎年命日となる5 月5 日には地域祭りが開催されています。



畠山氏により築かれた若江城

 1382 年、後に室町幕府の管領となる畠山基国によって築かれた若江城は、以後、河内国の要衝として度々兵乱の舞台となりました。1573 年、織田信長によって京を追放された室町幕府第15 代将軍・足利義昭が羽柴秀吉の警固を受けて当地に入城したことでも知られています。現在の東大阪市立若江小学校の近くには写真の石碑も建立されていますが、発掘調査の結果、若江城はこの付近一帯に存在したと推定されています。
 大坂夏の陣に際して、東西両軍が当地で激しい攻防を繰り広げた背景に、かつての若江城が背負っていた地政学的な重要性があったことは十分に考えられます。


 現在の若江、激戦地となった川沿いは工場が立ち並び、車の往来も激しい工業地域となってすっかり様変わりしましたが、小径に入り耳を澄ませば、兵どもの雄叫びが聞こえてきそうで戦国時代にタイムスリップしたような風景に出会えます。

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vol.21 わが街探訪 戦後の焼け野原に整備された靭公園
〜公園に集う人々の安息〜

vol.21
大阪中央ブロック 西支部
坂口社会保険労務士事務所
坂口 雅俊

靭 (うつぼ) 公園周辺スポット
 大阪市西区、都会のオアシス、靭公園周辺で気になるスポットを紹介したいと思います。
靭公園は普段なんとなく通り道にしたり、花見の時期に立ち寄ってみたりと、整備の行き届いた公園です。その歴史を調べてみますと、江戸時代は雑喉場(ざこば)魚市場および靭塩干魚市場として繁盛し、終戦後は米軍の飛行場、その後1955 年に開園、およそ今の形ができあがったようです。

楠永神社】なにわ筋西側 沿い

 靭公園の中には神社があり、理由があって今もこの場所にあるのかなと思い調べてみました。江戸時代、北浜にあった海産物市場が同地に移転し、1624 年には水路が開かれ海産物の荷揚場として栄えたようです。永代濱と称する荷揚げ船着場があり、記念碑が建っています。
神木とされる楠はその時からあり、楠は戦後、飛行場建設の際に伐採されようとしましたが、けが人やブルドーザーの故障が相次ぎした。おはらいの際に神社の建物から白い蛇が出てきたことから、それを伝え聞いた人々が多数参拝するようになったそうです。

靭公園周辺行ってみたいお店

【 ラーメン香澄】大阪市西区京町堀2-12-13
 公園の西側端にあり「塩ラーメン」の店と思っていましたが、煮干しラーメンでした。
 正確には塩ラーメンから煮干しラーメンへと変わったようです。煮干しのだしと醤油、背油がベースで、昼のピーク時は少々並ぶことがあるようです。具材のどれをとっても意気込みを感じるラーメンで、特にチャーシューが厚め、ボリュームあり。店内清潔感ありますので女性もOK。

【 香月堂】大阪市西区京町堀1丁目16−18
 なにわ筋沿いにある「きんつば」の店です。入りづらそうな感が漂っていたので躊躇していましたが、この機会にレポートできてよかったです。「きんつば」が売りのようですが、今回はきなこ餅を買ってみました。食べログの評価に出ている数字を、そのまま表したかのような味です。季節ごとの商品もあるようですので、歩いても3 分程度ですし再訪したいと思います。

サンドイッチファクトリー】大阪市西区京町堀1-13-2
 ここは、女性向けの店でしょうか。今回イートインは避けて、テイクアウトを選びました。サンドイッチはとても丁寧に作られていて、おいしいものを少しいただくというコンセプトであると思います。サンドイッチの種類が多く、デザート的なものからハンバーガーに近いものまで揃えてあり「作り置き」はないので待ちます。店内は英国風な雰囲気を醸し出し、接客が丁寧でした。

タカムラ・ワイン& コーヒーロースターズ】大阪市西区江戸堀2-2-18
 公園からは、少し離れるのですが、コーヒーがおいしいので時々行くお店です。店内は見た目、倉庫そのものなんですが、木材の内装を施しており今風。ワインは買ったことがないので、わかりませんが相当な種類があります。イートインができるように落ち着いたソファ席、テラス席があり雰囲気でも癒されるお店です。

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