コラム・大阪地域自慢

大阪の北から南へ、西から東へ、ぶらりと旅をすれば必ずやその地の自慢があります。大阪に長年住んでいながら知らなかったことや、知っていたことも更に詳しく、各支部からご紹介していただき、大阪の通になりましょう。きっとその土地へ行ってみたくなるはずです。

vol.36 日本一の毛布の町、泉大津 〜産地ブランド「OZU」や羊キャラ誕生〜 

vol.36
大阪南ブロック かんくう支部
(株)リノ 新家 徳子

 17世紀ごろから庶民の衣料として取り入れてきた綿織物。なかでも泉州地域は有数の綿作地でした。この綿織物の技術と後藤又兵衛が当地に伝えたといわれる真田紐の技術がドッキングしたことで織物技術が向上、毛布のまち発展への礎になったようです。
 泉大津で毛布が誕生したのは明治20年ごろ。その時の素材はなんと牛毛。最初は服地を作りましたが硬さとにおいのために売れず、寝具に転換。やわらかな肌触りを求め悪戦苦闘し、起毛方法の開発、素材を綿にかえるなどの試行錯誤の結果、世界に誇る毛布産地を築いてきました。
 しかし、現在毛布は耐久消費材としていきわたり、消費需要は飽和状態で、生産量の伸びは期待できません。
 泉大津が毛布の町であることすら、地元住民にも知られなくなってきていました。そこで、地元企業が産地ブランド「OZU」を立ち上げたり、泉大津市がマスコットキャラクターや4人組羊バンドを誕生させたりしながら、泉大津のPR活動を精力的に行っています。
もう一つの主翼、ニット産業とともに、泉大津ブランドは進化しつづけます。

ウール、カシミヤ、シルク、綿、アクリル素材も加えて毛布の種類は多種多様。ネットで調べると、泉大津は日本で生産される毛布の90%のシェアを持つそうです。最近の家はエアコンで家中冷やす、暖めるといった文化生活になり、寒くて布団から出られないことが少なくなったかも。毛布の温みが郷愁を誘います。(編集西岡)

vol.35 大坂冬の陣、今福・鴫野の戦い 〜大坂の陣に関わった史跡を巡る〜

vol.35
大阪東ブロック しろきた支部
(株)はりよし 吉永 律

 一昨年は真田丸のお陰?で大阪の街は賑わったことでしょう。真田信繁(幸村)の終焉には大坂の陣があります。歴史にifはありませんが「もし徳川家康の首さえ取れていれば」天下はどうなっていたでしょうか?城東区にはその大坂の陣での戦いの史跡があり、今回はそれを紹介したいと思います。大坂冬の陣で豊臣軍vs徳川軍が戦った今福・鴫野の戦いです。当時の今福と鴫野はそれぞれ大坂城の北東にある水田地帯で、堤以外は人馬が行動しづらいという地形だったそうです。
 豊臣軍は東や京街道方面からの攻撃に備えて、その堤に四重の柵を設けて陣を敷き、現在の寝屋川(当時は大和川)の北岸と南岸で豊臣軍(後藤基次・木村重成、他)と徳川軍(佐竹義宣軍+上杉景勝、他)が戦いました。大阪環状線が南北に走っていますが、平野川の西側を猫間川という大坂城の外堀の役目を果たす川が玉造南の真田山付近まで流れていたそうです。戦国時代ごろ、鴫野は滋野(諸説有り:ヨシがたくさん植わっていた)とか志宜荘(志宜野)という荘園名で呼ばれていたそうです。今回は城東区内を中心に書かせてもらいましたが、大阪市内にも大坂の陣に関わった史跡が結構ありますので、皆様も巡られて歴史を感じてみてはいかがでしょうか?


日本史の中で、現在において最も身近に語られるのは戦国時代に繰り広げられた数々の天下取りの戦です。織田から、豊臣、徳川と戦いにより勢力が移っていく様や、その戦略については現在ビジネスの考え方にも例えられます。ほんの少しの入れ違いで天下、情勢は変わっていたかも……ですね。(編集西岡)

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